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ルヴァン準々決勝:今年の苦さが連れていく道

これまで観戦する場所はだいたい決めていたけど、今季はチケット代が一律に近いこともあるしいつも通りの応援もできないことだし、普段使わない席でも見てみようっていうことで、厚別のメインを選んでみた。
高校サッカーなんかではもちろんメインで見たことはあるけど、コンサドーレの試合でメインを使うのは20年ぶりくらいかな。ホーム寄りで見るのは初めて。

ホームゴール裏寄りのコーナーでは、ピッチ練習を引き上げてくる選手達を正面から見ることができた。

ここから見るとこんな感じなんだな、ドームの距離に慣れるととても近く感じるな、表情がよく見えるな、観客の拍手に応える選手もいれば集中したままの選手もいるな、ミシャはみんなに愛想よく挨拶するな。

こんな視点も新鮮だなって思った。
その新鮮な視点で、試合後に胸が痛くなるような場面に出会うとは思わずに。


9月にもなって今季初の厚別。
24年前のJFL時代でも、2千人台なんて試合はあったかな、なかったな。
はじまりの場所は人を若干感傷的にさせる。させるが、そんな優雅な気分でいられない強風と霧雨。長袖一枚羽織っても寒い。厚別の席上段はそういえば風が強いんだった。いくら先週まで猛暑だったとしてもぬかってはならない、変わらない厚別。ハーフタイムに寒さしのぎにポンチョを購入。次は完全防備で来なければ…と思っても、それを忘れた頃にひどい目に合うのも厚別。

まぐれでも勝てればいいなって臨んでいた昨年とは全然違う今年。
普通に勝って普通に今年も決勝に行くつもりでいた。

マリノスにほんの1週間前にひどい負け方をしたばかりというのに、そんなことは全然関係なかった。そしてその(何の根拠もない)自信を強化するような試合をした。田中駿汰にときめき、高嶺朋樹に熱くなり、ルーカスフェルナンデスに唸らされる。荒野拓馬はすっかり立派なゲームキャプテンになってる。楽しい。久しぶりに見てて楽しい。ミシャ札幌はこうでなくちゃ。周囲のお客さんはマスクの下の唸り声が漏れる。だから後半に先制したときは、これはって思ったんだ本当に。

でも結果は「準々決勝敗退」。
去年の決勝と同じく、相手側のエンドでのPK戦。結果も同じ。止められて終わりじゃなく、止められなくて終わりだったというぐらい。
「何の試験の時間なんだ」って宙船の歌詞みたい思った。

応援のない場内ではPK戦に向かう選手やスタッフの声が響いてた。
去年もこんな感じだったのかな。
同じようなシチュエーションで思うことがある選手だってたくさんいるだろうな。去年はPKを蹴らずに終わった選手、去年は試合に出られなかった選手。

無応援のPK戦は、普段のそれと違ってホームの有利を表しにくいと知った。
拍手をするべきか、しないべきか。拍手が果たしてノイズになるか。ならないか。やってみても、わからない。

「ドド、失敗しそう…」
「荒野か…」
「ミンテか…」
「中野か…」

周囲からは期待よりも不安の声が常に漏れてた。
ミンテの爆発するような喜びに感じる想い。
そして去年、PK戦を前に交代した福森。
彼が蹴るときには、まわりから不穏な声は聞こえなかったのに。


選手の輪を離れて一人引き上げてくる福森。
真正面から見える席だった。
感情が強く動いているのは遠目でもわかる。
ユニフォームで顔を覆ってる。
スタンドの下からベンチ外の選手がひとり出てきて声をかける。
選手の無念さを目の当たりにして語れる悔しさを、私は持ち合わせなかった。



交通機関を使わず徒歩でとぼとぼ帰る。
「なんかこう、ちょっとずつ足りない」
「ものすごく足りないんじゃなくって、少しづつ、相手の方が上。その小さな差の合算が結果になってる。」
切ないな、って思ったけどこの感覚は初めてじゃないと気づく。

そうだ、「J1で戦うには少しづつ足りない」って昔思ってたんだ。
今は「J1でタイトルを取るには少しづつ足りない」。
今感じている「少しづつ」を埋めるのに一体どれだけ(時間とお金と熱意が)かかるのかわからないけど、埋めて来れたんだから埋めていけないわけないよな。

本気でカップ戦タイトルに挑んだ最初の年に味わう苦さは、過去にたくさん味わってきた苦さと似て、でも違うもの。
過去の苦さが連れて来た道がある。
今年の苦さが連れていく道があると信じてやるしかない、よね。

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満月がルヴァンのロゴを映し出したビジョンの真上に。
敗戦記念に記録しておこうと撮ったらルヴァンのロゴ映らず。持ってない。

しかし応援というか言葉をかけられないの本当に難しいな。
だからせめて文字ぐらいはって、最近とみに思う。

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