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【エッセイのテーマ】コロナと僕

「GWは久々に、うちでバーベキューでもやりましょうよ」。
そう自分は誘ったけど、「いやー、コロナが完全に収まってからね」とうちの奥さんのお母さん。

例年少なくとも、年末年始、お盆、じいじ(奥さんの父)の誕生日あたりに食事会をしていたけど、昨年より一切なし。

冒頭の会話は、久しぶりに3月に少しだけ会ったとき(冬用タイヤ交換はお父さんがやってくれている・・・)、自宅なのにマスク越しで交わした言葉だ。
80歳のお父さんと74歳のお母さんはコロナを相当警戒していて、スーパー以外、まさに不要不急の外出はほぼしていない。

それから2ヵ月。雨続きのGW。
後半にお母さんが38度の発熱。それが2日間続き、「もしかして!?」と頭によぎる。

GW明け、すぐに病院に行ってPCR検査。

翌日、まさかの「陽性反応」が出た。

同居家族であるお父さんと、うちの奥さんの妹の二人もPCR検査。翌日、陽性反応が出た。いわゆる家庭内クラスターとなった。

お母さんはその日のうちに入院はできず。翌日、広島市外ではあるけれど、そこならすぐに入院できるということでその病院へ搬送される。

お父さんと妹は自宅待機・・・。

感染者といっても、すぐには入院できないことを初めて知った。
妹は障がい者で目が見えない。お父さんは元気だけど80歳。
「夜に急変したらどうしよう」と、自分とうちの奥さんは正直びびった。当然、見守りで行くこともできず。

コロナ報道を見て怖かったのは、自宅で待機中に急変すること。
翌朝、お父さんは「ちょっと熱っぽい」と保健所に電話し、その日のうちに近くの病院に入院することができた。

「入院できたから、これでとりあえずは安心だわ」と僕らは話した。
が、それもつかの間。

それぞれの病院から連絡が入り、共通して次のような説明を受けた。
「ご高齢なので、症状が悪化しても身体を傷つける人工呼吸器は使えません」
「症状が悪化した場合、末期がんの患者さんのように行うような、痛みを和らげる措置に入ります」
「症状が悪化したとき、無理な治療で命を救えたとしても、寝たきりになる可能性があります。そのとき、判断が必要になります」
「天命を全うしたときの葬儀は・・・」
(※注:微妙にニュアンスが違うかもしれません)

人工呼吸器って万能ではないんだ。。。

治療というより症状への対処という感じか。
しかも使い方を調べると、「首の横を切開して、気管にチューブを・・・」と書かれており、自分もこれはきつい。

入院後、検査が2~3日あり、お父さん・お母さんはともに「中等症」と診断された。重症なら広大病院などに転院しなければならなかった。

コロナ変異株について調べてみた。
すると自分がたまにみるユーチューブで、ファッション関連の話をするMBさん(38歳)がコロナに感染し、45分ぐらいの動画をアップしていたのを見た。
昨年のコロナは感染すると最初の1~2日目が高熱でピークだけれど、変異株の場合はどうやら違う。

少しずつ悪化していき、体内の酸素が少なくなっていき、7日~10日目ぐらいが最も高温となり、ピークとなることを知った。MBさんは「地獄の2週間だった」と回想していた。

その情報通り、お父さん、お母さんも日に日に悪化していく。
お父さんは、個室ではなく妹と同じ病室にしてもらった。
先生に様子を聞くと「お父さんは気力だけでがんばっているようです」という。幸い、妹は大丈夫そうだった。

ネットで調べると、コロナ感染者の80代で亡くなっているのは11%。確率は高い。
ちょうどその頃、某大物芸能人が「コロナで死ぬのは80歳以上」とつぶやいたと報道があった。確かにそうなんだろう。当事者意識をもつという意味を改めて感じた。

お母さんはのどが痛く、咳が止まらず、呼吸が厳しい状態に。
酸素マスクをつけるようになった。
しかし、体内の酸素が90を切ると重症患者と認定されるようで、それが91にまで下がった。

電話が鳴った。

「3月に許可が出た薬を使ったり、医療用酸素の量を増やします。全力を尽くします」(のような)説明を先生から受けた。
「良くならない場合、寝たきりになるようでしたら無理な・・・」とも説明を受けた。

毎日、両病院の先生からの電話が鳴る。
鳴るたびに、自分と奥さんがびびるので、中3の息子もひびる。

正直、一家全員、少なくとも一人は、、、が頭をよぎった。

奥さんは仕事とか家事をしているときはましだけど、何もない時間になるとひどく落ち着かないと言う。泣くときもあった。

入院して10日後ぐらい、土曜の午前中、お母さんの病院の先生から電話があった。

「昨晩から体温(呼吸だったか!?)が安定してきました。このまま週末を乗り越えれば何とかなりそうです」。

無事に乗り越え、退院条件をクリアするところまできた。ただし、ずっと寝込んでいたので、脚の筋力が衰え、咳のしすぎで肺は硬くなってしまったよう。
そのため、退院せず、一般病棟に移ってリハビリで残った。1週間ぐらいかかったと思う。ようやく先週退院した。

退院後、お母さんは「咳が止まらなくて、息ができなくて本当に死ぬかと思った」と言っていた。
妹は早めに2週間ぐらいで退院できた。その後、お父さんが退院した。

絶望的な状況になったが、全員無事でよかった。
父も母も、先生も看護師さんたちは本当に親切で、感謝の気持ちしかないと言っていた。

ここまでの話をまとめると「コロナに感染した⇒無事に治った」という、よくある文脈だが、その行間にある出来事や気持ちの動きはとてもじゃないけど一言では言い表せない。

「GWは久々に、うちでバーベキューでもやりましょうよ」。

そう自分は誘ったが、もし実現していたら、うちの家族も全員感染していたと思う。
断っていただいて、ありがとうございます。
自分が感染したら嫌だ、というより、自分が感染源になって人に移すことの方が怖い。自分が一人暮らしなら、一人で自宅待機ができるからまだいいかもしれないけれど。

父と母からは、断る勇気をもつことが大事であることを教えてもらった。
ちなみに感染経路はおそらく、妹が通っている障がい者作業所で4月に5人感染のクラスターが起きており、そこからだと推測される。

当然、その後すぐにその施設全員がPCR検査を受けており、陰性反応で一安心していたけれど、そうではなかった。PCR検査信じ切ってはいけないようだ。

最後に。
入院して3日後ぐらいに、うちの奥さんが実家の郵便ポストだけを確認しに行ったら、「コロナワクチン接種」の封書が届いていたらしい。。。
もう少し早ければ、と思ったが関わる人は誰もが一生懸命。無事で良かった。
とりあえず、ワクチンが出回るまで、自分もこれまで以上にコロナ対策をする。不要不急は避ける。
外での食事、密な会合、県外への移動はしない。
県外に自分じゃなきゃダメな取材あるとき、かなり距離を取らせていただく。

あえて、今回の件をここで書いたのは、アウトプットすることで自分を甘えさせないため。
そして、あれだけ連日報道されているのに、知っているようで知らないこと、生々しい現実が、いまそこにある危機として数多くあることを自分の親しい人たちに感じてほしいためだ。

昨日、自分の母親のワクチン接種の封書が届き、自分が代わりに予約しようとしたができない。
よーく調べてみると、広島市は75歳以上は6/18(木)から予約開始とのこと。
五輪の開催是非の議論も大事だったが、コロナに関する肝心な基本情報が自分事として自分には届いていない。

僕はまだ受け身なのだろう。自分で調べて、自分で考えて決め、行動する。それが生きる上でのすべての基本である。身に染みた。

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