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「できるようになりたいこと」は「やりたいこと」じゃない

今寝ようとしてたんですけどファって文章が降りてきたのでメモって寝ようと思います。

なんか「やりたいこと」と「できるようになりたいこと」って別モノだと考えると楽になるなって。

例えば僕は最近、とある理由で説明文を書かないといけないんだけれども。これが全然やり方が掴めない(リアクションのない「読者」に、どーやって分かりやすく説明しろっちゅーねん)。

ま〜全然進まないので正直やりたくないわけ。一日中、本読んでFPSゲームやってたいわけですよ。

でも、一応僕も人の子なので(練り物ですけど)、事が進んでないと

「オォン…全然できてへんやんけ…自分でやりたいから引き受けたんじゃないんか…オォン…そこに愛はあるんか…?信じられる愛は…?」

みたいな気持ちが芽生えてきてしまうわけですよ。
練り物のくせに無駄に真面目🤔

ということで眠る前にお布団の中で楽になろうと思って何も考えずボーッとしていたんですが、

その時「今やってるのは『やりたいこと』じゃなくて『できるようになりたいこと』なんじゃね?」説が浮上してきたという、いきさつです。

「やりたいこと」だけできたらこんな楽なことは無いんだけど、大体いまの能力でできる範囲って決まってるんですよね。

「こんなことやってみたいけど、どうやったらできるようになるかよく分かんないんだよね。」みたいなこと、誰しも1つや2つあるのではなかろうか。

だから「やりたいこと」のために、ある程度「できること」を増やしていくことが必要らしい(なぜ生まれたときから全知全能赤ちゃんになれなかったのか?)。

でも「今できないこと」をできるようにするのって、大抵難しい面倒くさい。まぁ簡単にやれたら「できないこと」じゃないからなぁ・・・。

だから「できるようになりたいこと」って、実は「やりたくないこと」の方が多い気がする。

「やりたいこと」から始まったはずなのに、いつの間にか「やりたくないこと」にぶつかる羽目になるという謎仕様。

「俺には覚悟が無かったというのか…」と打ちひしがれる夜もあったような気がします。知らんけど。

やりたいことのためなら、何だってできるぞ!!と思ってると結構こういう時にしんどいみたい(実体験)。

だからこそ「やりたいこと」と「できるようになりたいこと」は別モノだと、分けて考える。

そう考えると「大変なのにチャレンジできてる自分えら…(感動)」ってちょっと自分が好きになれることに気づきました。

「なかなか上手く進まんなァ…」という時は「何か今までできなかったことに挑戦しようとしてるんだナー」という超好意的な解釈をしといてあげよう。

大事なのはなるべく自分をゴキゲンに保って、ぐっすり眠ることだからね。

あっ思い出した寝なきゃ!

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