見えないものを見ようとしてエロ漫画を読む
おはようございます。
スカートの中ってロマンがあるよね。エロを掛け備えた絶対領域。この神聖さを破壊したものこそがインターネットではなかろうか。インターネットはどういうものかと聞かれれば、数多の情報の集合体であり、私たちはその四次元ポケットを開ける存在である。この現代社会で、どんなフェチ、性癖があろうと許容できるほどの情報量をインターネットは手に入れたのだと思う。(マイナーすぎなければ)インターネットと共に文化として発達したエロ漫画は様々なフェチの具現化として数多のジャンルを抱えている。その点、三次元でのシチュエーションの補完とも取れる二次元としてのエロ漫画は三次元にない、またはあり得ないことを表現するものといて発達してきている。マイナーな性癖を受け止めてくれるエロ漫画は、現実との対比を見ることができる。実際にレイプや公然猥褻行為などといった法的にも現実では禁じられているものもエロ漫画はそれを受け止める。これがモノとして成立している以上、二次元においてはレイプでも薬物でもなんであろうとエロければその域を出ない訳である。つまりエロ漫画は現実社会での倫理的、法的な縛りを超えた欲求の受け皿となる三大欲求としての性欲を現実社会から離れた状態で昇華する役割を担っていることとなる。これが三次元となれば、補完の完成度は上がるだろうがそこに行き着けるか問題、二次元と比べ画素数が比べ物でない現実社会では厳しいものがあるだろう。ともかく、エロコンテンツと現実社会は実際からの乖離、シチュエーションの補完によって繋がっているのだ。私たちは性的欲求が作り出した、現実社会と対比された理想の世界を求めてエロ漫画を求める。さながらプラトンが説いたイデア界へのエロースである。三次元の、現実社会のスカートの中は見えないので分からない。でも二次元は三次元より一層、それを的確に補完してくれる。また考えたい、それでは。