祝福も手加減もなく、つづいていく。

「病気になったら人生終わりだ」
別にそう思う人がいても構わないのだけれど、体験した身としては、病気も他のライフイベントと同じように「節目」にすぎないのだと考えている。
そして、本格的に治療をはじめるという「節目」から今日で10年になった。

もちろん、病気になることは決して明るい出来事ではない。
最初は混乱の中にいて、自分でも自分の置かれた状況を理解できなかった。そして、理解できたらできたで、あらためて病気や障害を持つという現実と向き合わなければいけなかった。当時は就職できたら楽になるのかななどと思っていたけれど、そこでまた、「社会とつながれていない自分」を突き付けられたりもした。
だから、初めの数年間はすごく苦しかったのだと思う。

けれど、だんだんと潮目は変わってきた。
将棋を再開したことは、人とのつながりも含めて心身の回復にとても良い影響を与えてくれた。SHISHAMOという「推し」ができたことは、大袈裟ではなく新しい世界を見せてくれた。そして、精神保健福祉士になるという新しい目標ができてそれを叶えることができた。それがきっかけで、いまの仕事や、とあるNPOのお手伝いをさせていただくことになり、また新しく勉強したいこともできた。

もちろん、右肩上がりに調子が良くなったわけではないし、病気とは関係のないことで辛いこともたくさんあった。それでも、この10年間を振り返ってみると、自分でいうのもなんだけど、「おもしろい」10年間だったのではないかと思う。

でもね。

自分だったらきっと、病気にならなくても「おもしろい」10年間を過ごすことができたはずだ。
研究者として成功した自信はないし、想像もつかないような出来事や方向転換も起こったかもしれない。けれど、自分にはそれだけの力があったことは、確信を持って言える。

これから病気や障害に対する社会の態度がどうなるかはわからないけれど、病気や障害を持つことは決して正当化されたり、ましてや美化されるものではない。当たり前だけど、病気になんてならない方がいいに決まっているし、時間が経つごとにその思いはどんどん大きくなっていく。
ひとりの当事者として、そこははっきりと伝えていきたい。

率直に言って、この10年間で医学はそこまで進歩していない。
病気のメカニズムはわからないままだし、画期的な治療法や薬が開発されたわけでもない。
その一方で、早期の発見の大切さや、病気や障害があっても働ける環境のように、社会は少しずつだけど確実に変わっているように思う。もちろん、改善の余地はたくさんあるけれど、社会が変わるというのは、当事者や周りの人にとっては希望なのだ。

自分は、病気や障害をなくすことや、病気が病気で障害が障害である以上、そのことで傷つくことをゼロにはできないと思っている。けれど、そのことで誰かが傷つく必要はないし、ましてや誰かから傷つけられることはあってはならないとも思う。そういう方向に社会が進んでいってほしいし、そのために自分の力を使ったり、ほかの人の力を借りたい。

10年という「節目」を迎えても、病気や障害が、祝福や手加減をしてくれるわけではない。それでも、これから先も「おもしろい」と思えるような人生を過ごしていきたい。
そして何より、そう思える10年間をくれた周りの支えへの感謝を忘れずに過ごしていきたい。

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