世界観を問う44問(INFP)
引用:
回答者:INFP
当たり前ですが、人の生活がより良いものになることを期待しています。同時に不幸をもたらす可能性もあると思っています。謎が解明されることについては、それがプラスになるのもマイナスになるのも課題次第なのではないかと。それらの見極めや科学の成果を人に寄り添ったものにするには、ヒトの熱意や知識や倫理観が不可欠だと思っています。
年齢というより積み重ねた経験によって左右されると思うので、間接的には関係していると思います。「指示をする」は年齢や経験の影響が大きいと思いますが、「始める」「やめる」「友愛を築く」は経験の質が大きいと思います。
私は地方出身なのですが、地元を離れても生まれ故郷を捨て去ったとは思っていないのでためらいはありません。地元愛もあります。
その人の出自よりはその人がそれらをどう捉えているかが判断材料になる気がします。
妥当性や再現性含め、信頼できるものと思っています。数的感覚がどういったものかはわからないのですが、少なくとも長けてはいないと思います。
挑戦とは違うかもしれませんが、大学(院)に入りなおしたいですね。投資や株には関心がないです。実体のあるようでないようなものは苦手ですし、私が手を出してもロクなことにならない気がします。
常に考え事をしているような人間なので、「気が付いたら……」ということはあまりないです。以前は白昼夢のような経験をしたこともありますが、いまはほとんどないです。
感じます。その日の空気を「春らしい」「11月みたい」と感じるのが好きです。
考えないですが、もし理性が働かなくなるほど追い詰められたらわからないです。
将棋を指すときは黒い服を着ないようにしています。神社に行ったり占いを信じたりもしますが、特別なときにするというよりは定期的に行う感じです。日ごろはあまり考えていないです。
将棋と音楽です。無趣味でも人間関係などで満たされていれば人それぞれではないでしょうか。
「嘘をつく」というより「真実を言わない」というのが近い気がします。相手に知らせたくないこと・相手が知りたくないことを知らせることで自分や相手が傷つくリスクを避けたいので。
謙虚だとしたら、傲慢な自分を飼いならすためです。また、生きていくうえでそういう姿勢は誰であっても必要だと考えています。
「装飾を施す」かはわからないですが、自分の気分を上げる(自分の機嫌を自分で取る)意味はあると思います。私自身はお洒落ではないですが、手や足が小さいので、腕時計や靴など、自分の肉体という制限があるなかでより良いものを選びたいという気持ちがあります。
うーん……。私自身が「男らしい男性」ではないので、いわゆるホモソーシャルな世界で満たされないものを女性や彼女たちのコミュニティに求めているという気持ちはあります。ジェンダー的に自分にはないものを持っている(かもしれない)という点では特別視しているのかもしれません。
これは得意なほうだと思います。題材に合わせて議論を組み立てるというのは人並みにはできるのではないかと。
ないです。皆無です。
高校時代の夢や特定の人物が出てくる夢などには、自分の向き合うべき課題が表れていると思います。あと実際に体験したことでなくても同じシチュエーションや同じ場所の夢を何度も見るので、何かしらのメッセージがあるのではないかと思っています。
できることなら見たくないです。興味もないし興奮もしません。
理想論かもしれませんが、思いません。それらを直視することが人間に課せられた使命ではないかと考えています。
問20.<個人と集団>
これはわからないです。分野にもよりますがどっちもいける気がします。そういう意味ではこの考えには肯定的な立場だと思います。
正直、あまり食へのこだわりはないですが、意味はあると思っています。
ラーメンやスイーツなど様々なジャンルがあるなかで、何か一つでも興味があればそれで十分ではないかと思います。
期待するかしないかなら、した方がいいと思います。もっとも「相手は自分の思い通りにはならない」という前提を理解したうえで、ですが。
本人がそれを望めばアリだと思いますが、特に子どもはその分別が難しいですよね……。褒めて伸ばせればそれに越したことはないと思います。
国語や数学など教科の面ではアリだと思いますが、ソーシャルスキルなどについては違う立場の考えを知るためにも足並みを揃える部分も必要だと思います。
私自身の事情もありますが、当たり前のことだとは思っていません。誰であっても「ひとりで生きる覚悟」はしなければならないと思います。
一夫一婦制については、「人による」としか言えないです。私は一人の相手と関係を築きたいですし、「多夫」の一人にはなりたくないです。
思います。私の先行しているソーシャルワークや精神医学では特に、地域の固有性や歴史との関連性がもっと議論されてもよいと思っています。
頭では柔軟でありたいと思っていても、なかなか訂正できないですね……。
満足していないですし、革命を起こしたいです。歴史上の出来事のようなことは現代社会では起こせないのは承知の上で。
いまはあまり思っていないです。むしろそれをコントロールすることにある種の快感を感じているのかもしれません。
書いてあることと自身が考えていることが結びついて新たな発見があるととても嬉しいです。以前は本を読むことの比重が大きかったですが、現在は体験重視です。
あります。そういったものを相手に不快な気持ちにさせずにどうラッピングするかということはずっと考えています。
あくまでも人間の身体の構造と結びついているもの(機械じゃないけど楽器とか)には感じますが、兵器やロボットにはあまり……。自身に関しては機械のようだと思うこともありますが、それ以上に人間臭い人間だと思っています。機械の扱いについては壊滅的です。
好き嫌いというより、「解釈の余地が生まれない表現」があるのかどうか疑わしいと思っています。含みのある表現は好きな方だと思いますが。
あまりないです。現在は「国」単位で物事を考えることの方が多いですね……。
人間が他の生物(植物を含めて)の生命や力を利用している以上、この質問は前提が間違っているというか、これを<命の平等さ>というのは傲慢ではないかと思います。ヒトAの死骸とヒトBの死骸というなら話は別ですが。
時間が有限で、現代社会が効率重視である以上、意義はあるのかなと思いますし、相性も存在すると思います。もちろん、そこから発達したり変化するのが人間の面白さだと思いますが。
「自分の考える人間性を体現しようとしている」という意味では人間のフリをしているのかもしれません。冷酷さやハードさの表現も人間としてのそれでありたいと思っています。
将棋は「勝ちたい」と思ってやっていますが、現実社会ではそこまでではないですし(望んで敗北を選んだりはしませんが)、「勝つか負けるか分からない勝負」というのがあまりピンと来ません。相手がいても結局は自分自身との戦いなのだと思っています。
行きますし、行くべきだと思っています。理由は、どんな状況であれ自分が最善だと思う選択をする義務があると思うからです。
マジレスすると病気の再発は怖いです(多分大丈夫だと思いますが)。
あとは自分の不注意で大切なひとを傷つけることでしょうか。
現在は観念的な死に囚われることはなくなりました。
思いません。『銀の匙』の主人公の「他人の夢を笑わない人間になりたい」ではないですが、社会は小さな「○○しない」の積み重ねによって成り立っていると思います。
ありません。私自身の事情もありますが、親である以上は子どもがどんな人生を歩んでも、ある程度は受け容れる覚悟が必要だと思っています(子どもがいるわけではないので偉そうなことは言えませんが……)。
どちらともいえない、ニュートラルなのかなと思います。直面したら取り乱すこともあると思いますが、それが来るまでは静かに受け入れるしかないのではと考えています。
「自分なりの」正解を求めたいという気持ちはありますが、「普遍的な」と言われると違う気がします。少なくとも自身の基準は自身にしか当てはまらないということは忘れずにいたいです。
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読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
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