見出し画像

【夢分析】雨夜のグレートマザー

別れた夫と仕事の話をするために雨の夜に待ち合わせ。覆い被さる愛、貪る愛、与えっぱなしの愛、さまざまの愛のはざまの話。


1.別れた夫と無邪気な女

その夜は、別れた夫と会うことになっていた。
雨の中、彼が指定したイタリアンレストランへ向かう。
彼と最後に会ってから10年以上が経っている。
お互い変わったのか、変わっていないのか。

彼は芸能事務所の人間。芸能事務所とはいっても、作家や識者などの文化人枠のマネジメントを専門とする事務所。
少し前から私の活動をプロデュースしてくれるという話が出ていた。迷って先延ばしを続けていたが、いよいよ顔を合わせて話をせねばならないところまできていた。

10年ぶりに顔を合わせた彼の髪には白髪が混じり、ぴりりと尖った雰囲気がほんの少し和らいだ感じ。落ち着いた物腰で私を迎えた彼は、離婚直前の私が嫌悪していた防衛的で嫌味な笑顔ではなく、ごく自然な笑顔だった。

しかし。
彼の顔を目の当たりにし、彼の声を聴くと・・・。
どうよ。だんだんイライラしてくる。

ぼくだけが、きみを理解している。
ぼくだけは、きみを裏切らない。
ぼくだけは、きみの利益になる人間だ。

ああ、このなんとも言えない覆いかぶさる感じ。
真綿で首を絞められるような気色の悪い不自由感。
口にも鼻の穴にも毛穴にも、なまあたたかい得体のしれない偽善が流れ込んできて窒息させられそうなこの感じ。

この男と、お金の話をすることになるのか。
この男と、仕事上の運命共同体になるのか。

軽く吐き気を催し、私は食事を拒んで店を出た。
店を出るとき、驚いたふうの知人女性と目が合った。
彼女は、昔の夫と私が一緒に仕事をすることを無邪気に夢みている。

口直しが必要だ。

2.若い男

最近、ときどき会っている若い男(夢の中ではそういうことになっている。しかも会ったことなんかない好きでもないアイドルだったりする)を呼び出した。彼はすぐに待ち合わせの場所にやってきたが、なぜだか友人の若い男(こちらもテレビでしか見たことないアイドル)を連れている。まあよい。責任のない関係というのは気楽だ。

私と若い男と、もう一人の若い男。
なにひとつ核心にせまらない安全で退屈な会話。
刹那的な愉楽とともに夜は更ける。

唐突に思い出す。
今夜、もうひとつ約束があったのだ。

3.中年の女

15年以上、私の支援者を自称してくれている年配の女性。
昔の夫と待ち合わせたイタリアンレストランの近くのカフェで、彼女は待っていてくれるはずだった。仕事の話が終わったら落ち合うはずだった。

なぜ忘れてしまったのか。
退屈な若い男を相手に時間を浪費してしまった。
罪悪感の波が押し寄せる。
彼女は、まだ待っていてくれるだろうか。

雨の中、カフェに向かって走る。
カフェはすでに閉店し、彼女の姿はない。

以来、彼女とは連絡が取れていない。
成功をもたらしてくれるかもしれない昔の夫。
純粋に成功を信じてくれる夢見がちな女。
刹那の快楽をもたらす若い男。
どれを失っても、たいしたことではない。

彼女を失ったことで本当に私が失うのは、なんだろうか。
慄きで目が覚める。

4・セルフ夢分析してみたら

お気づきの通り、これは夢の話である。
さっそくセルフ夢分析をしてみたけど、もうなんだかいろいろ悶絶。
以下ものすごーく端折ってはいるが、夢分析の結果を記してみる。

一般的に夢のストーリーは、現実の自分が置かれている状況とはかけ離れた荒唐無稽な内容であることが多い。現実での知人とか、テレビで見たことがある人とか、道端ですれ違っただけの人物を登場人物としてキャスティングし、自分が監督になって物語を演じさせるような感じ。
現実とかけ離れたフィクションになってしまうのは、その方が「意識」が警戒しないから。「意識」の検閲に引っかからないように巧妙にカモフラージュされた形で、「どうか気づいてほしい、受け取ってほしい」っていう生々しいメッセ―ジがそっと差し出される。

夢の中で「自分」と認識できるものは、意識の世界でもふだんの自分に近い要素をまとう。登場人物の中で奇妙なものや引っ掛かりのあるものは、これから統合されるであろう自分の「ある部分」を含むことが多い。

「元夫」は、ちょっと深情けすぎるイメージ。
そして「元夫」からみた「私」は、「ぼくは敵じゃないよ。相変わらず過敏で神経質で絶好調に扱いにくい。これがまた痺れるポイントだけど」って感じ。

すれ違った「知人女性」は、純粋すぎるくらい人の幸せを願う人。
そして「知人女性」からみた「私」は、「あなたにとってチャンスだよ。わざわざむずかしく考えないで。楽しみにしている」って感じ。

「若い男たち」は、とにかく子犬のように無害。
彼らからみた「私」は、一人で対応するにはちょっと重苦しいおばさん。なるほど、だから二人で対応したんだわ。彼らは「大事なのは今でしょ。過去とか未来とか、いろいろ思い悩まないでテキトーに遊ばないと」って思っているらしい。

そしてカフェで待っていた中年女性は、天衣無縫かつ成熟した印象。
そしてまさかの「中年女性」からみた「私」は、「どんなあなたもOK。忘れていてもOK。あなたが私を本当に必要としたときには、必ず会えるから大丈夫」てな感じ。

いやはや、恐れ入りました。

夢を見終わったとき、一番ずっしりと残っていたのは「失ってはいけないものを失ったかもしれない」という怖れ。儲け話や現実逃避なんて、どうでもいいことに気をとられているうちに、二度と手に入らないものを失った気がしたのだ。

でも、結局なにも失っていなかった。

夢の中の6人は、どれも私の分身。
神経質で過敏。(これは、慣れ親しんだ私)
具体的に表の世界で力になるよ、という信頼性。
無邪気にポジティブな未来を描く純粋性。
どうでもいいことはテキトーに笑い飛ばす楽天性。
そして、とらわれない無条件の愛。

一番びっくりしたのは、中年女性の無条件の愛だろうか。
私たちの意識が操る「小さい私」では想像もつかない境地。
夢分析では、無意識領域に鎮座する「大きな私」と対話できるのがいいところ。意識の世界でガッチガチになっているときには見えないものが、象徴的な夢のストーリーを通して得られることがある。

ただし、気になるのは、今回うまく接触できたのが若い男たち(楽天性)だけってところ。他の要素たちとは、少し交わし気味の接触にとどまっている。

まあ、無理もない気がする。
昔の夫の優しさや、すれ違った女性の無邪気な期待(夢の中の私は支配を感じて嫌悪感を抱いているが、本当は無条件の愛に近い感じ)と、中年女性の無条件の愛は、ある意味で紙一重。

受け手の反応次第では、無条件の愛もベタついたものに感じることがあるし、逆に共依存的な愛を無条件の愛のように感じてしまうこともある。

私自身が、さらりとしたこだわらない愛を使いこなすには、まだ少し自分の中のわだかまりがあるように感じるのが、今回の夢の見立て。
グレートマザー(飲み込み破壊する側面と、慈しみ包み込む側面を持つ)の健全な統合がテーマってところかな。

おそらく楽天性を鍵に、また次なる夢をみるだろう。夢や箱庭は、ひとつだけで解釈を完結させず、いくつかの継続した流れで見るのが妥当。
はてさて、キモキモベタベタとサラリの愛は、いかに統合してゆくのか。
乞うご期待である。

夢分析は、慣れれば自分でもある程度は分析可能。ただし見たくない部分や受け入れたくない部分には、どうしても意識のブロックがかかる。そういうときは、信頼できる夢分析セラピストの手を借りるのもありかなと思う。

5.2年後の後日談

実はこの夢、別のnoteアカウントで2021年8月にセルフ夢分析したもの。
夢をみた2年後(つまり2023年8月頃)に、突如として私自身が等身大の中年女性として無条件の愛を体感するに至った。実に唐突だった。

現実的な出来事ともう少し符合させると、2023年8月に私は小さな法人を立ち上げている。そして2023年11月から私設相談室『じぶんケア研究所』を立ち上げ、オンラインカウンセリングを再開するに至っている。12月には地方でPTA主催の講演会に講師として呼ばれている。一体なにが起きているのか。

2016年に私設相談室を閉じて以来、もう自営業をやる熱量は生まれないだろうと思っていた。しかし、無条件の愛とともに熱量がぽろりと生まれてしまったのだ。
2年前に夢でみたような依存心や反発心(元夫への気もち)とか、逃避(若い男への気もち)とか、そういうものをひらりと越えて、私が私を自由にするために決断した。

夢の中で中年女性として出てきた友人(実際は15歳ほど年上の女性)とは、2023年11月下旬に再会の約束をしている。コロナ禍もあり、この2年間お会いしていない。先方にも大きな転機が訪れているようで、再開が楽しみなところ。

なにをどうとも説明しがたいのだが。
夢分析をしていると、自分の「意識」だけで物事が進んでいるとは思えなくなってくる。「意識」が現実のはざまで迷走している間にも、「無意識」は私のあるべき姿をしっかりとらえている。他者と共有する集合無意識のうごめきにも導かれて、結局のところはあるべき姿で居るべき場所に居るようになっているのだと思う。

夢は、こうして何年たっても新たな発見を楽しめる。
ひらすら楽しむ。なんでも来いだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?