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カオルと 僕と そして今 -1

#First of all

それは 1993年のこと

手のひらの上、指先一つで
いつでも会話をすることが出来なくても
行き先を声で案内をしてくれる地図が無くても

それでも

黒い受話器の先にいる声を聴いては、会いたい思いを募らせ
見ず知らずの場所でも、ちゃんと待ち合わせをして出会い
大好きな人を見ていられる限られた時間の中で
むさぼるように言葉を交わし求め合った

そんな不便で不器用な、ささやかなつながりの中で
それでも誰かを愛することをやめられなかった時のこと

#思い出  #夜明け前の電話

日向ぼっこをするにはまだ早い季節だが、今日はいつになく暖かい。
僕は緑が濃くなりはじめた芝生に、椅子をひっぱり出して座る。
まだ生え揃わない若葉たちも、先を急ぐかのように日に日に増えて、時おり流れて来る風には、ほんの少し、でも確かに季節が変わろうとしている匂いがする。

そっと目を閉じて、微かな風の音の中でまどろんでいると、日常の忙しさはまるで夢のようだ。 
僕の目の前では、自分の背丈よりも大きい犬を、今にも転びそうになりながら追いかけ回している子どもと、さらにそれを追いかけている、楽しそうな母親の姿。

そんな様子をぼんやりと見ながら、今となっては夢だったのか現実だったのか分からなくなりそうな、でも決して忘れることのできない時を思い出していた。

・・・

それは、夜明け前の一本の電話から、何の予告もなく突然に始まった。

夢のまっただ中、遠くのほうで何かが僕を呼んでいる。
いったい何だ。
同じサイクルで規則正しいデジタル音。
目覚まし時計か? 

でもまだ眠りが足らない。
もう少し、と思いながらベッドの中から手を延ばして、いつもの時計のいつものボタンを叩く。

音はまだ鳴り止まない。
手応えは充分にあったのに。 

夢と現実の世界を行ったり来たりしているあやふやな頭の中で、このまま夢の中へ戻ってしまおうかと思ったとき、現実の僕が目を覚まし、その音が電話であることに気が付いた。

やれやれ、電話の音だったのか。
それにしても今は何時だ? 窓の外は暗いようだけど。
もしかして、これも夢の続きなのかもしれない。

暗い部屋の中、手探りでまだ鳴り続けている電話の受話器を取った。

「もしもし」喉の痛みと一緒に、やっとの思いで乾ききったごわごわな声が出た。
それと同時に、夢の中ではすっかり忘れていた重力のようなものが、体中の節々の鈍い痛みや肉体の重さになってのしかかってきた。

「もしもし、カオルです。こんなに朝早くにごめんなさい」

なんだ、カオルか。
知っている人間だからという安心感と共に、なぜ彼女がこんな時間に僕のところへ電話をしてきたのだろうと思ったが、いずれにしても僕の思考力は半分寝たままで、ろくな答えなんて出るはずもなかった。

「ん、大丈夫だよ。何?」
「あまり良くないニュースで悪いのだけど」

まわりくどい言い方だが、ゆっくりと分かりやすく優しい声だ。

「あの、テツオが今朝、と言うより昨晩遅くに亡くなってしまったの」
「え?」

カオルは同じセリフをもう一度繰り返した。

テツオが死んだ?どういうことだ? 
冗談だろ。
まだ夢の中にいるのか?
僕の混乱を感じたのか、カオルは先を続けた。

「それで、私はたった今病院から帰って来たところで、これからいろいろな人へ連絡をしなくてはならないのだけれど、いったいどうすればいいのか分からなくて、早い時間で悪いと思ったんだけど、我慢できずにケイジに電話してしまったの。ごめんなさい」

受話器を握ったままカーテンを開けると外はまだ暗く、人々が動き出す前の独特な静けさがあたりを包んでいる。

夜が明ける前だ。

僕は無理矢理現実の世界へ戻されて、頭の芯がじんじんと痺れているような感じがしている。

電話の中のカオルの声はしっかりとして落ち着いていて、一言一言をとても大事に選んで喋っている。
まるで僕を気づかっているようだ。さっきどこからか帰って来たと言っていた。ということは、いま一人でいるのか。

「分かった。とにかく今からそっちに行くから。大丈夫か?」
「私、ちょっと疲れていて、それにシャワーにあたりたいの。部屋の鍵は開けておくから勝手に入ってね」
「ん、分かった。じゃあ後で」

分かった、っていったい何が分かったっていうんだ。
テツオが死んだ?なぜだ?何があった?
とにかくカオルが一人でいる。急がなくては。

僕は部屋の電気もつけず、窓越しに入る外灯の明かりだけの薄暗がりの中、服を着て部屋を出た。

#照らし出された駅のホーム #カオル 

駅に着くと電車はもう動き出している時間だったが、改札もホームもがらんとしていて、ホームの天井に規則正しく並んだ細長い蛍光灯は、夜明け前の最後の一仕事だとばかりに、無駄なほど煌々と光っている。

周りの家々は空のグレーと一体化していて、僕一人しかいないホームだけが照らし出されて、まるでステージのようになっている。
毎日使っている駅なのに、見ず知らずの場所のようだ。
本当にこの駅には電車が来るのだろうか。

朝の時間はなぜか早く過ぎる。

さっきまでの暗さが和らいで、周囲の景色が少しずつ浮かんでくると、煌々としていた蛍光灯の存在感は無くなり、夜明けの白さが、形を現し始めた家々のシルエットを、全部包み込んで同じ色にし始めた。
顔を出したばかりの太陽は、ここにある空気を歪ませるほど強いんだ。

電車はまだ来ない。

ホームに立つ僕の足は、時間が経つごとに重さを増す二月の冷たい空気に絡みつかれ、そのうちにホームに敷かれたコンクリートと同化してしまうのではないかと思ったとき、電車は音もなく僕の前に滑り込み、扉が開くなり僕を飲み込んで発進した。

こんな時間でも、少ないながらもちゃんと利用者がいるものだ。 
各車両には新聞を読んでいたり、ぼうっと宙を見上げていたり、バックを大事そうに抱えたまま爆睡している人の姿などが、ポツリポツリといる。

彼らはいったい何をしている人達なのか。
これからどこへ行くのだろう。

さっきカオルが僕に話した内容を、一言も間違えのないように思い出そうとしていた。

いくら思い出しても、良く理解できない。
僕は昨日の昼にテツオに電話をしたのだ。
あれは確かにテツオだった。

その声に変わった様子はなかったが、また電話すると言われて、早々に電話を切った。
そして僕はテツオからの電話を待っていた。
あの後に何かが起こったということか?
それともテツオ自身も気づかないうちにすでに起こりつつあったということか?

悪い冗談に一杯くわされたのかという微かな可能性は、残念ながら無い。
テツオもカオルもその手のことをする奴らじゃないし、それに今日は月曜日だ。

普段なら週の初日は嫌いやながらも一応早く起きて襟元を正し、いつもよりも遅刻に注意しながら、殺人的なラッシュアワーの人込みの一片として電車に揺られて出社する。 
そうしてデスクに着いたころにはすでにエネルギーを消耗して、これで週末までもつのかどうか不安になりながら、ごまかしごまかし、まずはこの月曜日を乗り切るのだ。

そんな週の初めに、こんなきつい冗談をかまされたとしたら、もうこの一週間は乗り越えられないだろう。

僕はこうしてこんな時間の電車に揺られ、早くカオルの所へ行かなくてはと思いながら、このまま永遠に電車に乗り続けて彼女には会えないような、会わないほうがいいような気になっていた。 

駅を出ると、顔を出したてのあの主張の強さとは打って変わって、遠慮がちな弱々しい太陽がやっと昇り、早出のサラリーマン達が駅に向かって急いでいた。

僕は一人、彼らとは逆方向に向かって進んでいく。
カオルは大丈夫だろうか。
電話の声はとても疲れている様子だったがしっかりしていたし、逆に混乱している僕をなぐさめるように話しているようでもあった。

部屋の中で彼女がどうにかなっているとは思わないが、言われたとおりに勝手に扉を開ける気にはなれず、チャイムを押してみた。
するとすぐにカオルが出てきた。

良かった。
正直言ってほっとした。
カオルは生きている。

「勝手に入ってくれて良かったのに。今シャワーから出たばかりなの」

彼女の髪は濡れていて水滴が毛先に丸くぶら下がり、今にも落ちそうになっている。
化粧をしていないせいもあるのだろう、カオルの顔は透き通るように白く、いつも控えめだが生き生きとしている瞳は、僕を見ていながら僕を通り越して、はるか後ろのほうを見ているかのように見えた。

「あがって。今コーヒーを入れるから」

まるでいつもと変わらないカオルの対応に、少々とまどいながら部屋に入った。

部屋はいつもの様子と変わっていない。
ただテツオの姿がないだけだ。

僕はすすめられた椅子に座ったものの、何の話をどう切り出せばいいのか分からずにいた。 
カオルは慣れた手つきでコーヒー豆をミルの中に入れ、ゴリゴリと音をたてて挽きはじめた。

このまま黙っているわけにはいかない。
でも、何と言えばいいのだろう。
ろくな言葉が浮かんでこない。
少し口ごもりながらやっとの思いで言葉が出た。

「いったい、どうなったっていうんだ」

無心にコーヒー豆を挽いていた手を止め、カオルは電話で話した時と同じように、ゆっくりと、そしてはっきりと話し出した。

それは、事のいきさつが理解しきれない僕に対する配慮と、彼女自身その事実をしっかりと受け止めるよう、自分に言い聞かせているようでもあった。


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#テツオ  #フォルクスワーゲン・ゴルフ
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