見出し画像

カオルと 僕と そして今 -2

#テツオ #フォルクスワーゲン・ゴルフ 

年明けから、テツオはぽっかりと穴が開いてしまったように暇にしていた。
ところが二月に入って、突然立て続けに仕事が入って忙しくなり始め、そんな時に限ってスキーの誘いなんかがくるものだ。

それまでは先の予定もなく暇だったので、節約のつもりで好きなスキーには行かずに我慢していた。
シーズン前に新調したブーツと板は、その威力を発揮できずに、いささか不満ぎみに部屋の隅でじっと出番を待っていた。
そんな中で、この誘いはただの遊びではなく、友人の接待スキーの助っ人だという。

テツオの友人は、仕事先の人を接待する事になり、相手からのリクエストがなんと 宿泊スキーツアー だったのだ。
ところがその友人はスキーが苦手でゲレンデにも詳しくない。
おまけに彼の車は、小さな黄色いツーシーター。
接待をするには完全に役不足ということで、スキーは得意だしキャリア付きのフォルクスワーゲン・ゴルフに乗っているテツオに白羽の矢が立ったというわけだ。

フリーランスのデザイナーをしているテツオとしては、この接待スキーが縁で、新しい仕事が入って来るかもしれない。
おまけに部屋の隅では新しいブーツと板も出番を待っているし、この話を断る理由がない。

ということで穴の開いていた分を上回る勢いで入ってきた仕事を横目に、喜んで引き受けたのだった。

接待スキーの当日は仕事先から一度家に戻り、夜中に発つということだったので、前の晩、私たちは久しぶりに外で待ち合わせをし、お互いに仕事の資料を抱えたままバーに入った。

バーボンを飲んですっかりいい気分になったところでタクシーに乗り込み、夜更けのドライブと称してほんの少し遠回りして部屋に着いたころ、2人は珍しく足下があやしいほど酔っていて、服を脱ぎ捨てるなりベッドに倒れるようにもぐり込み、そのまま深い眠りについてしまった。

翌朝はいつもと同じように目覚めてテツオはシャワーを浴び、私はコーヒーを入れていた。
そして新聞を開いてコーヒーを一口飲んだところで、テツオがふいに顔を上げた。

「あれ、夕べ帰ってきて留守電聞いていなかったよな」
「そういえば私も聞いてない」

私もやはり会社には属さずフリーランスで翻訳の仕事をしていた。
テツオと暮らす、この部屋の一室を仕事場として使っていたので、電話はテツオと私のものと、部屋の隅に二台並べて置いてある。

私のほうの留守番電話はゼロ。
このごろ意図的に仕事の量を減らしているせいだろう。
テツオのほうは一件入っていた。
今夜発つ接待スキーについてだった。

「明日のスキーについてですが、夜中に発つ予定が変更になり、仕事が終わり次第ということになりましたので、荷物を準備されて、そのまま出られた方が良いかと思います。詳細については後ほど」

困った。まだ何も用意していない。
テツオは慌ててブーツと板を玄関に出し、フォルクスワーゲン・ゴルフをマンションの前へ移動するために、部屋を出て行った。
私はバッグを片手に、3泊分のテツオの下着やら何やらと一緒に、スキーウェアーをバッグに詰め込んだ。

やれやれこんなことなら、夕べあんなに飲むんじゃなかった。
テツオの酔いは一晩たって完全にさめただろうか。

駐車場からマンションの入り口にフォルクスワーゲン・ゴルフを移動し、テツオが部屋に戻ってきた。

テツオはブーツと板を抱え、私は大きく膨らんだバッグを持ってエレベーターに乗り込んだ。
「夕べのお酒、もう覚めた?」
「いや、今ちょうど酔いが戻ってきていい気分になってる」
「おやまあ」

どうやら、近頃はそうらしい。
朝起きてシャワーを浴び、コーヒーを飲んでシャキッとして家を出るのだが、電車に乗って、その "揺れ" のお陰で、ほろ酔い気分になったりするそうだ。
全く困ったものだと思うけれど、別段仕事に支障があるわけではないし、好きなお酒とたばこをやめるような人ではない。
健康が心配ではあるけれど、女房でない私がテツオの体のことや、お酒についてとやかく言うのは、ルール違反のような気がしていた。

この日は仕事が終わり次第スキーへ行くことになっているのに、クライアントとの打ち合わせがあるため、いつもはラフな服装のテツオはスーツを着て行かなくてはならなかった。
テツオはスーツにネクタイ姿で、車のキャリアに板を固定し、私はリアシートにバックを置いた。

#秘密の企て #初めての留守番 

私達はとてもクールな関係にあった。
というよりも、私は常にそのようによう努めてきた。
肉体関係ができたと同時に馴れ馴れしくなったり、同棲しているからといって女房風を吹かせるのだけは決してしないと心に誓っていたし、テツオもそのほうが良いのだろうと思っていたからだ。

だから家に帰ってくる時間を聞いたこともないし、テツオが私の腕を取り、抱き寄せてくれないかぎり、私からテツオに甘えて何かを求めるということはなかった。
それでも私たちの関係は良い部分でつながっていると私は思っていた。

でも、この朝は無性にテツオが恋しくてたまらなかった。

一緒に生活を始めて以来、遅くても終電の時間には必ず帰ってきてくれていたし、テツオが私をおいて旅行に行ってしまうのは今回が初めての事なので、一人で留守番をするのが寂しいと思ったのかもしれないが、そんなことではなく、テツオが愛しくてしかたなかった。

マンションのエレベーターで荷物を運んでいるときも、車のキャリアに板を積んでいるときも、私はこっそりと "どうやってテツオに抱きついてしまおうか" と、考えを巡らしていたのだった。

普通ならそんなことは簡単で「行ってらっしゃい」の言葉の後に、ぎゅっと抱きついてしまえば良いのだろうけれど、今までそういうことは一度もしたことがないし、突然のことにテツオも驚くだろう。

正面からではタイミングが難しい。
テツオが後ろを向いた時に抱きついてしまえばこっちのものだ。

今か今かとタイミングを狙っているときに、マンションの住人が通りのむこうからこっちに向かって歩いて来た。

せっかくのチャンスだったのに!!!

と、思ったと同時に、私がいま密かに企てていたことが、その人にバレはしないかと急に恥ずかしくなった。

別にテツオの後ろで抱きつこうと身構えていたわけでもないし、私の心の中で考えていただけなので、その人には知るよしもなく、その証拠に私と目が合ったにもかかわらず、挨拶もしないで通り過ぎて行った。

でも私は自分の頬がだんだんと高揚してくるのを感じ、すっかり動揺して落ち着かなくなってしまった。

車に荷物を積み終えると
「それじゃあ、火の元と戸締まりに気をつけて」
と言ったテツオに

「はい。分かりました。行ってらっしゃい」
とは言えたものの、なんとなく何かを言おうとしているテツオにそれを言い出すチャンスを与えてあげられず、車に乗り込んだ彼にせっせと手を振って送り出してしまった。

マンションの入り口に入り、エレベーターに乗ったところで、さっきテツオはいったい私に何を言おうとしていたのか急に気になりはじめた。
何かとても大切なことを聞きそびれたのではないか。

あのとき、テツオに話をするタイミングを作ってあげれば良かった。
なんであんなにせっせと送り出してしまったのか。
後悔したと同時に、悪い事をした後のような、とても重い嫌な気分になった。

大丈夫、大丈夫。
2、3日すれば帰ってくるのだから。
そのときにテツオから聞けばいい。
そして車に荷物を積みながら、私が密かに企てていた計画を告白しよう。
テツオはどんな反応をするだろうか。

考えてみれば、私からテツオに「愛してる」と言ったことがない。
「好き」だとは言えても「愛してる」とは言えないでいた。
テツオもそんな言葉を軽々しく口にしない人だが、酔って抱き合った時は何回も何回も言ってくれた。
「愛してるよ。愛してる」
でも、私が言えたのは「私もよ」と言うのが精一杯だった。

なぜ言わなかったのか、言えなかったのか。
壊れてしまうのが怖かった。
「愛している」と言ったために呪文が解けて、今までのテツオと私のバランスが崩れ、この生活が消えて無くなってしまうのではないか。
女房気取りの厚かましい女になってしまうのではないかと、怖かったのだ。

私だって何も考えずにテツオの胸に顔をうずめ、思いついたことを思いついたまま口に出し、泣きたいときに涙を流せたらどんなにいいだろうかと思った。
でも私は自分の気持をおさえ、次の夏が来るのをただじっと待っていた。
夏にはテツオの30回目の誕生日が来る。

テツオは以前、自分が30歳になるまでは誰とも結婚しないと言ったのだった。

「これは君に会うずっと前から自分の中で決めていたことなんだ。だから、変えるつもりはない。僕の中の大事なけじめなんだよ。それに夏までに仕事のほうも僕の理想に近い状態になるはずだ。ギャラは今より減るかもしれないけれど安定はする。そしたら君は今みたいに忙しく仕事をすることないよ。自分の好きな物を買える程度の、もっと楽な仕事をすればいい」

これは一回聞いただけで、その後も気持ちが変わっていないかどうか、聞くことは出来なかったけれど、私はテツオの言葉を信じていた。
日常の生活の中で、私たちは表面的には他人行儀のように見えたとしても、お互いに強く結びついて信頼しあい、求め合っていたのは分かっていた。

2人の間の妙な距離は、そのうち時間が埋めてくれる。
8月になってテツオの誕生日が来たなら、その距離はまた少し短くなるはず。

とにかくその日を待つ。
全てはそこから始まるのだ。
自分に自信が無くなったり、テツオにとって私は必要なのか問い正してみたくなったりするけれど、とにかく夏まで待とう。

私はこうして、半年後のテツオの誕生日の存在を信じていた。
まさかその日が永遠に来ないことなど想像すらできなかった。


+ + +

ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
続きは、有料とさせていただいております。
投げ銭のかわり!!! 応援する!!!
と思ってくださる方は、どうぞ続きも読んでください!
お待ちしております(*'ω'*) sachi

Next to ☟ポチっと
・・・ カオルと 僕と そして今 -3 ・・・
#帰るコール #明日はバレンタインデー 


Ⓒ1993 sasa.sachi
掲載されている文章,
写真データの著作権はsasa sachi が保有しています。
いかなる場合でも無断利用、無断転用は一切お断りいたします。



よろしければサポートお願いします♡ リノベの家の費用として使わせていただきます! リノベの家のDIYや、暮らしのアイテムが、皆様の参考になったら嬉しいです。ありがとうございます\(*'ω'*)/