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良かれと思ってが1番迷惑

鬱の人に対して、どのように接していいか分からないと悩んでいる人むけ。
鬱の人にとっては、初期段階で知っておいて方が良いこと。をお話しする。



なんと答えますかゲーム


ある民族の人が話しかけてきました。
「慣れ親しんだ森を裸足で歩いていたら、足の裏を怪我し痛手をおってしまった。」

あなたは、なんと応えますか?

質問

1.可哀想に。手当てはしましたか?まだ痛みますか?
2.何処の森です?二度とそんな事にならないために整備にいきましょう。
3.裸足より靴を履いた方が良いですよ。お勧めのをお待ちしましょうか?

回答

実はこの答えによって、相手が何を求めているかを汲み取ろうとしているか否か、そしてあなたの提案タイプが分かる。

1.可哀想に。手当てはしましたか?まだ痛みますか?
相手の現在の気持ちを知ろうと尋ねています。そして必要なことがあるか聞く、寄り添い型。

2.何処の森です?二度とそんな事にならないために整備にいきましょう。
これ以上、あなたが傷つかないことが1番だと判断し、自分も参加して改善することを提案しています。協力提案型。

3.裸足より靴を履いた方が良いですよ。お勧めのをお待ちしましょうか?
自分の経験と知識からベストだと思われることを提案します。経験値アドバイス型。

タイプ別


この他にも、違った捉え方や意見、アドバイスはあると思う。
しかし、この鬱ブログだからこそ、私が言いたいことは。
「人の回答にはバリエーションが生まれてしまう。」ということ。

カウンセラーとそれ以外の人の差

カウンセラーは鬱の人に対してアドバイスをしているんじゃない。
鬱の人へかける言葉と態度を知っている専門家であり、相手にとって回復の道へ繋がるステップを知っているから。

素人に相談すると、回答にバリエーションを生んでしまう。
当たり前だが友人や家族はそれぞれの意見を言うし、お話を聞くプロでもない。ましてや回復を促せるプロでもないのだから、彼ら流にベストだと思うことを伝えてくる。ほとんどの場合が、少しでも役に立てばと思ってのアドバイス。

良かれと思って。悪気がない。だからこそ、厄介なんだ。


鬱の初期段階において素人に相談することはお勧めできない。

打ち明けるのはいいが、相談は進めない。
理解してくれるだろうと、助けてもらえるかも、そんな期待が僅かにでもあるなら尚更やめよう。すでに鬱というのは防御力ゼロの瀕死状態なのに、素人の良かれと思ってアドバイスはこちらが思わぬダメージを被る事になる。それはあまりにキツイ。


最初のゲームにもどるが、お気付きだろうか?

この例え話、民族の人は相談していない。
そう、話しをただけ。なにがあったか事実を伝えただけ。
解決方法なんてアドバイスなんて尋ねてない。

ある民族の人がこう話しかけてきました。
「慣れ親しんだと思っていた森で裸足で歩いていたら、足の裏を怪我し痛手をおってしまった」

なんと答えますかゲーム

聞き手側はごく自然に。いい事だと思って解決方法を提案したりする。
「良かれと思って」これが人間の傾向だ。

聞かれてもいないアドバイスを無意識にする。


求められてもいない意見を伝えている反射的に。
本当に相手が求めているのは何か探りにいっただろうか?

鬱の人には、知っていてほしい。
あなたの周りにいる人たちは、カウンセラーじゃない。
プロじゃない。
良かれと思って、それぞれの意見やアドバイスを素人発言してくる。
そこには、あなたが本当に求めていることは何か探ってくれる人はほぼいない。つまり、傷つく可能性が高い。そして今のあなたには防御力がない。

周りに鬱の人がいる人は
あなたの「良かれと思って」は相手が本当に求めてきていることか、今一度確かめてほしい。そうでないと、余計に傷つけることになるから、できる限り慎重に、とくにアドバイスは気をつけること。求めらているのはそういうことじゃないかもしれない。

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