「ハンチバック」(市川 沙央(著/文) 文藝春秋) 書評

 がつんと殴られたような衝撃。そしてそこにいつまでも鈍痛が残るような読後感。

 主人公は、遺伝子疾患による身体障害を持つ40代女性、井沢釈華。背骨が湾曲し肺を圧迫しているため人工呼吸器を必要とし、親の遺産であるグループホームの一室で暮らしている。
 彼女は大学の通信講座を受講しているが、課題のための本を読むのにも命をすり減らさねばならず、「紙の本」というメディアのマチズム性(ここでは「健常者優位性」)とそれに無自覚な「本好き」たちを憎む。表向きは「真面目で寡黙な(模範的)障害女性」で通している釈華だが、障害者をいないものとして扱い、静かに消していこうとしている社会に対し積もってゆく呪詛を吐き出すための場をネット上に持っている。偽名アカウントを使ってエロ記事を書くバイトをし、<高齢処女重度障害者の書いた意味のないひらがなが読者の「蜜壺」をひくつかせて小銭が回るエコシステム>と嗤ったり、<普通の人間の女のように子供を宿して中絶したい>とSNSでつぶやいたりする。彼女のロジックによればこれは自分に課せられた人生の不公平さのバランスを取るためなのだ。

<生殖技術の進展とコモディディ化によって障害者殺しは結局、多くのカップルにとってカジュアルなものとなった。そのうちプチプラ化するだろう。
だったら、殺すために孕もうとする障害者がいてもいいんじゃない?
それでやっとバランスが取れない?>
<私の身体は生きるために壊れてきた。生きるために芽生える命を殺すことと何の違いがあるだろう。>

 やがて彼女は、ネットでの彼女の裏の顔を知った介護スタッフの田中とある取引をする。彼もまたコンプレックスを抱えた「弱者」であり、互いに相手を徹底的に蔑むことで自分の尊厳を保とうとする釈華と田中とのやりとりの荒涼感はすさまじい。

 著者が釈華と同じミオパチーによる身体障害を持つ当事者であることはリアリティと重みを増しているが、凄味の基はそれだけではない。本作は著者の卒論と同じテーマを別の形で表現した「裏卒論」にあたる(*)という。相当な思索の上で書かれた作品である。描かれている状況には救いがないように見えるが、理不尽な状況に怒り、疼き、呪詛を募らせながらも、黙って消えてやるものか、せめて一矢報いてやる、と抵抗する人間のたくましさに
希望も感じる。破滅的であったとしても、時に人は赤いスプレーを撒かずにはいられないのだ。


*「好書好日」インタビュー より https://book.asahi.com/article/14917541


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