科学と非科学の境界線。"定量性"というキーワード

一見科学に見えても、そうでないときがある。
ついつい自分が陥りそうなことについて自戒を込めて。

1. 科学は大事、というけれど…。

科学的事実をもとに物事を判断するのは良い事だ、と考えている人は多いだろう。しかし、科学的事実を理由にしているように見えても、科学的態度とは言えず、他の人を苦しめてしまうことがある。科学を正しく使えるか、使えないかの違いは何だろうか。


2. 偏見を引き起こした事例

1980年代に薬害エイズ事件が起き、HIV感染者への差別が問題となった。また最近では、福島第一原発の事故で汚染された地域の人々への偏見や風評被害が問題となっている。


3.一見、科学に基づいているように見える。

 こういった差別や偏見、風評被害は科学的事実に基づいているように「見える」。例えば「HIVウイルスに感染するとエイズを発症して死ぬ可能性があり、被ばくするとガンになる可能性が上がって死ぬかもしれない」のは事実だ。だからHIV感染者には近づかず、福島産の農作物は食べないという判断をする。


4. 見落としているのは何か

 しかし、ここには1つ大きな見逃しがある。それは量だ。例えばHIV患者の唾液にはHIVウイルスがいる。果たしてそれは危険なのだろうか。感染するにはある量以上のウイルスがいなければならない。唾液であればバケツ一杯分は必要だ。つまり、キスではHIVはうつらない。
 放射能汚染された食べ物も同じだ。原発事故に関係なく、食物には放射線を出す物質が含まれている。それと同じぐらいの量であれば、福島の農作物も他の地域の農作物も違いはなく、「ゼロベクレル」など意味がない。


5. 科学的であるために覚えておきたい「定量性」というキーワード

 「量」に着目することを「定量的」という。定量的でない科学的事実は不完全で、科学とは言えず、偏見や差別を生むことがある。科学を使う時には、「量」に目を向けていきたい。

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