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行ってきます!

今朝の新聞のお悩み相談で
「カンパ~イ♪」で有名な髭男爵さんが回答されていた。
”人間なんて暇を持て余してなんぼ”
のようなことを書かれていた。
ふむふむ。

『暇』が苦手な人がいる
『暇』が怖い人がいる
『暇』が寂しい人がいる

大概の人がどれかに当てはまるような気がする。
なぜだろう。

『暇』であることがいけないような
『暇』であることへの罪悪感のような
『暇』であることを隠したいような

そんな気持ちが人には隠されているからではないか。
しかし、一口に『暇』と言っても難しい。
何をもって『暇』というかは人それぞれだと思うから。
ちなみに私にとっての『暇』は、
なんとなく自分をだらけさせている時間のことだ。

見渡せば、
一生懸命働いている人がいるのに
一生懸命勉強している人がいるのに
一生懸命辛い病気と闘っている人がいるのに
なんだか私はズルをしているような気持になる瞬間
私って『暇』なんだ、
と思ってしまう。

でも、それだけ一生懸命になれることを探してみようとしても、
なんだかこれといって思いつかなくて、
だからといって今の生活に満足しているかと言うと
どれも中途半端でどれも納得できていないくて
やっぱり自己嫌悪に陥ってしまう自分がいる。
あの時間にもっとこれをしておけば良かったと悔やむ自分がいる。

今もこうやって時間だけが過ぎていく。
あと何年生きられるかわからないのに。
あと何日生きられるかわからないのに。

期限のない人生に『暇』は必要か。
私は私に問うてみた。

必要なんじゃない。
『暇』は、あるのが当たり前なのだ。
そんな答えが聞こえてきた。
小さいけれど、そんな答えが聞こえてきた。
『暇』があるから、人は動けるのだ。

そう、私のなりたい自分は、
何処へでも行ける元気な体と心を持つことだ。

#なりたい自分

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