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今日も考える

曖昧で現実的で代わり映えのない空気、話すこともないけれど一緒に食卓を囲む義務がある日常、そんな瞬間が私を耐え難くする

当たり前の楽しさ、充実感を望んでいるわけではない。むしろ、膝をついて泣いてしまうようなそんな悲劇的な出来事が起こってもかまわない

でも、誰かが言っていた。そうゆう人は幸せになれないんだよって。
日常を現実を当たり前を嫌う人間は何をしても幸せになれないって
幸せの定義なんて自分で決めて、語ってもらっていいけれど、その言葉ばっかりは胸に突き刺さるものがあったような

こうゆう事を考えていると、血液型のせいにしたり、生育環境、性格のせいにしたり、その他にもたくさんある理屈への責任のなすりつけ合いがはじまる。
大変だような、人間は本当によくやっていると思うな。

もう少しコミカルに生きれないものか
コミカルって何ですか


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