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「五感」は差別語か

25年前のことです。私は、ある紀要の編集責任者をしていました。

その紀要を出すために、15人の執筆者とのやりとりをし、最終的に原稿がまとまりました。いよいよ印刷屋との折衝に入る段階でした。

その前に、念の為に予算を出す部署に、その原稿を送りました。

数日後、部署の担当者から、ある言葉についてクレームが入りました。何という言葉だと思いますか。予想だにしなかった言葉でした。

 「五感」

「どうして五感がいけなのでしょうか。」

と電話で尋ねました。

すると、「人権感覚の問題なんです。つまりですね、この世の中には、視覚障害者がいるでしょ。聴覚障害者もいます。五感が揃っていないわけです。ですから、五感ではなく、感覚諸器官に変えてください。」

概ねこういう回答でした。

「感覚諸器官」

なにか辻褄合わせように聞こえてたのを覚えています。たぶん、私の人権感覚が乏しかったからかもしれません。

困りました。3人の編集者に正直に伝えました。

そのうちの1人のYさんは、こう反応しました。

「五感という言葉を差別語と言うなら、五感を磨く、という言葉を使えないということか。感覚諸器官を磨く、と言い換えて、差別がなくなるように考える人がいるのか。そんなの誤魔化しと違う。」

実は、私もYさんとまったく同様の受け止めをしていました。

Yさんの言葉に救われ、私は「お上の権威主義に従うしかないね」と自傷気味に言ったことを覚えています。

この世には、権威が好きな人が一定数います。戦前の言葉狩りの精神とどこかで似ている、と思うのは私だけでしょうか。

 「五感」と「感覚諸器官」

あなたは、どちらを選びますか。

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