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戸籍上の性別変更に必要な要件を巡る違憲判決


2023/10/25、ネットを賑わせたニュースがあった。


ニュースの題名は「【速報】生殖能力なくす手術必要な規定は「違憲」最高裁大法廷 戸籍の性別変更要件めぐり 戸籍の性別変更希望するトランスジェンダーの人たちに新たな選択肢」
※TBSニュースより引用


Xでは「手術無しで自己申告性別制にするならもう何でもアリやん。」「これでちんちんブラブラ戸籍上女子が女湯やら女子トイレに出現していくのね。出生性別男性の性自認女性の恋愛対象女性とかもいるだろうからなんとも難し。嫁娘を大浴場とか銭湯とか行かせたくなくなりますな。」


など否定的な意見が目立った。


本当におペニペニギンギンさんが女湯に入ることができるようになってしまうのか?気になるところだ。


さて、ニュースの題名だけ見て想像するのでは無く、例によって事実の分解をしていこう。


ちなみにこの判決を下した最高裁の大法廷は、最高裁の裁判官15人全員が判断する最高裁の中でも最も重要な審理をされる場所で、違憲判決をする場合は大法廷でなければ下すことができない。


なお法律の規定が違憲だと判断されるのは、戦後12例目とのこと。


※ちなみにこの記事は10/25に書き始めたがリリースするまで非常に時間がかかった。理由は書いている途中で自分の意見が変わり、大きく書き直したからだ。


性同一性障害特例法

今回違憲判決が下ったのはこの法律だ。

この法律は平成15年に制定された法律で、主な内容としては以下の通りである。
※判決文は和暦で書かれるので、ここでも踏襲させてください。


以下は私の要約です。

第2条
ここで言う性同一性障害は生物学的性別と心の性別が違う人のことですよ。
そしてそれは突発的にこの性別だ!と思う時もあるとかじゃ無くて、ずっとその確信を持ってる人だよ。
かつ、自分の身体的に及び社会的にもその性別にしたいという思いがある人のことだよ(自分の身体も別の性にしたいし、社会的にも別の性だと思われたい)。
そして医者の資格がある2人以上にそう診断された人のことだよ。


2条については一般的に理解しやすい。「ずっと心の性別と体の性別の違いに悩んで医者からもそう診断されてる人」というわけだ。

今回問題になってるのは3条の方である。
こちらは本文を引用する。

家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。

 一 二十歳以上であること。

 二 現に婚姻をしていないこと。

 三 現に子がいないこと。

 四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。

 五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

衆議院の公式サイトより引用


ちなみに三は現在未成年の子がいないこととなっている。


今回の議論のポイントは特例法3条1項4号及び5号で、違憲とされたのは4号だ。


この法律の3条ではこの5つが要件となっており(全てを満たさなきゃだめ)、それを満たしたら戸籍上の性別を変更できるとしている。
※もちろん2条に照合して性同一性障害をもつ前提でね。


じゃあ次はこの法律が違憲とされる根拠となる憲法13条について軽く見ていく。


憲法第13条

この条文は憲法の中の親玉みたいな条文で、何かと論拠にされやすい条文だ(俗にいう幸福追求権について言及している)。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

衆議院の公式サイト


普通に生きて普通に幸せになる権利は誰にでもあるで!ってことなので、まあ当たり前のことを言っている。



でも例えば「チョコ買おうと思ったら売り切りていて買えなかった!😠これはチョコを買うという幸福追求権を阻害されたんだ!👿」


みたいにあまり知的じゃない人にも利用されやすい条文で(これは極端な例だけど)、それはこの公共の福祉の解釈がなかなか難しいからである。
※ちなみに自民党の改憲草案では公共の福祉の部分は「公益及び公の秩序」となっている。


最高裁判決全文を読んで


前提

その前に明らかにしておかなければいけない点がある。

そもそも戸籍上の性別がある理由は何か、言い換えれば行政的にあるいは法律的に性別が分かれている意味は何かということだ。

考えてみたので思いつく例を少し挙げる。


・婚姻について
婚姻についての憲法上の規定は下記のようになっている。

1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

ここで書いてある両性というのは当然、男女ということを意味していると推測できる。
※これが同性婚を禁止していると読むかどうかは諸説ある。


現在日本では同性婚は認められていないので、結婚する二人は「戸籍上」性別が男女である必要があるだろう。


・強姦罪について(これは2017年に改正済みですが取り上げさせてほしい)

強姦といえば元々は男性から女性への性加害が想定されていたので、改正前の刑法第177条では下記のようになっていた。

暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。

ここでも女子という言葉が出てきているため、これは「戸籍上」の性別が重要になってくる。


何が言いたいかというと、この判決が下った際のネット上の反対意見「元々の性の生殖能力を持ったものが、女子トイレや女湯に入ること」という問題について考えた時、戸籍上の性別はどのような影響があるのかということだ。

つまり、みんなはトイレや銭湯で戸籍上の性別を毎回確認されていますか?という問いだ。


答えは当然NOだろう。


ではだからといって、今回の判決はそのようなことに全く影響がないと言えるのだろうか。


判決全文を読んだ上で私はこう思う。


混浴などがあるように誰がどの湯に入るかは、その施設の経営方針によって決めることができる。
ただ、入浴施設は一般に男女で分かれており、それは生殖能力や性器の外観的に戸籍上の性別と一致しているという社会通念を前提にしていると考えられる。

その社会通念の源泉は、基本的に生来の性別は一貫して変わることがない、あるいは変更にはこの常識と合うような手続き(手術や治療)が必要だという無意識の信頼があるためだ。


今回の判決は戸籍上の性別変更なので直接的に関係はないが(関係あるのは先ほど挙げた例のような件)、人々の無意識の信頼や社会通念を大きく揺るがす影響を孕んだものになっている。

判決全文を読むと、裁判官もこれについては下記の通り認めているようだ。
(後述の裁判官三浦守の5号規定についての反対意見部分で言及があった箇所について要約している)

要約すると

・公衆浴場で戸籍上の性別を証明する機会はない
・男女別の浴室の分け方は厚生労働省の助言等で補足できる
・性別を変更したいものがあえて浴室の利用で混乱させることは考えにくい
・そもそも性同一性障害をもつものは少数である
・それでも影響はあるだろうが適切な方策をとれば問題ない

ということのようだ。

この部分については後で反論を書く。

特例法3条1項4号規定違憲判決部分について

上記の前提を踏まえて、意見判決部分で気になった点を列挙していく。

一個目

<第2-2(2)>

そこで、本件規定の目的についてみると、本件規定は、性別変更審判を受け た者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、親子関係 等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねないこと、長きにわたって生物 学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける必要が あること等の配慮に基づくものと解される。 しかしながら、性同一性障害を有する者は社会全体からみれば少数である上、性 別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による身体的特徴に対する 不快感等を解消するために治療として生殖腺除去手術を受ける者も相当数存在する ことに加え、生来の生殖機能により子をもうけること自体に抵抗感を有する者も少 なくないと思われることからすると、本件規定がなかったとしても、生殖腺除去手 術を受けずに性別変更審判を受けた者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。

裁判所の公式サイトより引用


「変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、親子関係 等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねないこと、長きにわたって生物 学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける必要が あること等の配慮に基づくものと解される。」


これはYESだろう。ただこれだけではないはずだ。これ以降の文がこれ親子関係の部分のみに注目して書いてあるのがおかしい。

生殖機能を無くさなければ、戸籍上の性別を変更できないのは
(戸籍上の性別が常識的な性別と一致し、それによって社会的に性別専用スペースが分かれているという前提において)
性同一性障害を持つものが、社会的に不利益を被らないような配慮が必要な事と同様に、一般の性を持つものとの利益衝突により、他方が不利益を被ることにならない配慮の一環でもある。例えば、性別で区切られた空間において、自身がとある人間から例え同性であっても性的対象としてみられる可能性は、従来も現在も同様にある(例えば、女性用スペースに同性愛者がいるかもしれないのは今までも変わらない)。
一方、戸籍上性別変更した、生殖機能を持つものは性同一性障害特例法特例法3条1項5号規定があるとはいえ、性的対象とみられる可能性(つまり例えば元は男で戸籍上の性別を女に変えたレズだということ)があることを勘案すれば、同性としての空間を共有する上で生殖機能自体に脅威を感じる可能性があることは想像に難くない。
その意味で生殖機能の排除を要件としている点は一定の合理性が認められるはずだが、ここでは親子関係の想定にのみ注目して以降の論理が構築されている点が問題だ。


ちょっと難しいことを書いたので少しわかりやすく書く。


・生殖機能をなくすことが要件なのは何も親子関係のみが理由ではないことは簡単に想像できるのにそれについての言及がなく、以降の論理が構築されている。

・生殖機能を無くすことが要件なのは、例えおペニペニは取ったが女だと主張する人がいたとして、その人が元は男で戸籍上女に変えたレズだった場合、その生殖機能(精子を作る機能)は普通の女の人にとっては脅威だろ。

・今までも女性用スペースにレズがいる可能性はあったが、それとはわけが違うだろ。ってことだ。


二個目

<第2-2(3)>

特例法の制定趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしてもな お法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えてい る者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益 を解消することにあると解されるところ、その制定当時、生殖腺除去手術を含む性 別適合手術は段階的治療における最終段階の治療として位置付けられていたことか らすれば、性別変更審判を求める者について生殖腺除去手術を受けたことを前提と する要件を課すことは、性同一性障害についての必要な治療を受けた者を対象とす る点で医学的にも合理的関連性を有するものであったということができる。しかしながら、特例法の制定後、性同一性障害に対する医学的知見が進展し、性同一性障 害を有する者の示す症状及びこれに対する治療の在り方の多様性に関する認識が一 般化して段階的治療という考え方が採られなくなり、性同一性障害に対する治療と して、どのような身体的治療を必要とするかは患者によって異なるものとされたこ とにより、必要な治療を受けたか否かは性別適合手術を受けたか否かによって決ま るものではなくなり、上記要件を課すことは、医学的にみて合理的関連性を欠くに 至っているといわざるを得ない

特例法ができた時は性同一性障害を持つものの治療として
第1段階では精神的サポート等の精神科領域の治療を行い、
第2段階ではホルモン療法ないし乳房切除術を、
第3段階では性別適合手術(生殖腺除去手術、外性器の除去術又は外性器の形成術等)を行う

という3段階の手順を踏んで治療を進めていた背景があった。しかし医療の発展により治療のあり方の多様性が普及したから、もうこれは合理的でないということだ。


これも同じで特例法成立の背景にある一部分を抜き出しているに過ぎない。



ここで一旦結論を書くと、違憲という結論に至るロジックは個人的に杜撰だと感じた。

このニュースを聞いた時私は少しワクワクしていた。

なぜなら、生殖能力を無くさなくても良いと結論付けるに値する論理開発がなされたと思ったからだ。
ただ蓋を開けてみれば今までも「考えようによっちゃそう」と言えることを違憲としただけだった。


ただここで私個人の意見を書いておくと、特例法3条1項4号が違憲だという結論自体に反対しているわけではない(先ほど考えようによっちゃそうと書いたようにね)。

ただ拍子抜けしたというか大きく失望したというのが大きい。


そして何より、反対しているわけではないという意見には大きな注釈がつく。


ここからそれについて書いていく、そしてこれが本題だ。



判決のおさらいと最高裁判事の各反対意見と補足意見


この見出しを見て「あ、よかった。反対意見とか補足があるのね。」と安心した人には申し訳ないが、ここが一番私が違和感を感じているところだ。

ここからは前述の前提の部分と一部重複する。


判決のおさらい

一旦判決のおさらいをするために判決文を確認する。

・特例法3条1項4号は憲法13条に照らし合わせて違憲である
・特例法3条1項5号については原審(一個前の裁判所、ここでいうと東京高裁)で判断されていないため原審に差し戻す。


この二点目が大きなポイントだ。

以下の反対意見は二点目についても違憲だという最高裁判事の意見である。



裁判官三浦守の反対意見

私は、本件規定が現時点において憲法13条に違反して無効であることについ て、多数意見に賛同するが、さらに、5号規定も、同条に違反して無効であるか ら、原決定を破棄し、原々審判を取り消して、抗告人の性別の取扱いを男から女に 変更する旨の決定をすべきものと考える。

--中略--

性同一性障害を有する者の中には、必ずしも内外性器に関し 他の性別に適合させることを望まないとしても、胸のふくらみ、髭、声等の第二次 性徴に関し身体的に他の性別に適合させようとする意思を有する者がいることは、 DSM第5版の診断基準等からも明らかであり、ICD第11回改訂版もこれを前 提にするものと理解される。


特例法3条の1項5「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」おペニペニとかはちゃんととってなきゃだめだよ、という部分も声とか髭とかという面で別の異性に近づけようとしている人もいるので、特例法3条の1項5は違憲だという主張だ。

5号規定は、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近 似する外観を備えていること。」と規定するところ、これに該当するためには、原 則として、外性器の除去術及び形成術又は上記外観を備えるに至るホルモン療法 (以下、これらの治療を「外性器除去術等」という。)を受ける必要があると解される。 このうち、外性器の除去術及び形成術は、生物学的な男性の場合は陰茎切除術及 び外陰部形成術、生物学的な女性の場合は尿道延長術及び陰茎形成術であるが、こ れらの外科的治療は、生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果等をもたらす身体への強度の侵襲である。

やはりペニは取らなくてもいいという主張だ。


そしてみんなが気になっている女湯論争については以下の記述があった。
(この判決文論理があちこちに飛んで読みにくいので、私の意見と合わせて数字でまとめさせてください)

--ここから①--

外性器に係る部分の外観は、通常、他人がこれを認識する機会が少なく、公衆浴 場等の限られた場面の問題であるが、公衆浴場等については、一般に、法律に基づ く事業者の措置により、男女別に浴室の区分が行われている。このうち、公衆浴場 については、浴場業を営む者は、入浴者の衛生及び風紀に必要な措置を講じなけれ ばならないものとされ、上記措置の基準については都道府県等が条例で定める(公 衆浴場法3条1項、2項、2条3項)。この条例の基準は、厚生労働大臣の技術的 な助言(「公衆浴場における衛生等管理要領」平成12年12月15日付け生衛発 - 17 - 第1811号厚生省生活衛生局長通知)を受け、一般に、一定年齢以上の男女を混 浴させないことや、浴室は男女を区別すること等を定めており、これらを踏まえ、 浴場業を営む者の措置により、浴室が男女別に分けられている。旅館業についても 同様の規制があるところ(旅館業法4条1項、2項、3条1項)、旅館業における 共同浴室については、条例の基準として上記の定めがない場合も多いが、一般に、 旅館業を営む者の措置により、男女別に分けられている(「旅館業における衛生等 管理要領」上記厚生省生活衛生局長通知参照)。 このような浴室の区分は、風紀を維持し、利用者が羞恥を感じることなく安心し て利用できる環境を確保するものと解されるが、

解されるが、と書いてあるがそ羞恥心という意味のみで解されるわけではない。

公衆浴場及びトイレなどで男女の区別があるのは、一般生活の中で特異に性器の露出をする場面である。この意味でこのような場所は性加害のリスクが高まる場所、あるいはその危険を感じる場所である。
一方、前述の通り同性愛をはじめとする多様な性的趣向が認められる世の中で、性加害のリスクは同性間であっても成立する。
しかし従来のリスクは同性であれば性的接触による被害はっても、妊娠という二次的かつ重大な被害を引き起こす可能性は低かった。
しかし特例法3条の1項5が違憲でかつ、浴場やトイレの指摘が成り立つなら、この解釈によって新たなリスクが生じることになる。


しかしこの時点では、特例法は法令の規定による性別の取り扱いに関してのみ影響があり、浴室の分け方は条例や旅館業を営む者の措置よって分けられているから関係ないという主張だ。

(解されるがの続き)これは、各事業者の措置によって 具体的に規律されるものであり、それ自体は、法令の規定の適用による性別の取扱 い(特例法4条1項参照)ではない。

--ここまで①--

--ここから②--

実際の利用においては、通常、各利用者につ いて証明文書等により法的性別が確認されることはなく、利用者が互いに他の利用 者の外性器に係る部分を含む身体的な外観を認識できることを前提にして、性別に 係る身体的な外観の特徴に基づいて男女の区分がされているということができる。 事業者が営む施設について不特定多数人が裸になって利用するという公衆浴場等の 性質に照らし、このような身体的な外観に基づく男女の区分には相当な理由があ る。厚生労働大臣の技術的助言やこれを踏まえた条例の基準も同様の意味に解され (令和5年6月23日付け薬生衛発第0623号厚生労働省医薬・生活衛生局生活 衛生課長通知参照)、上記男女の区分は、法律に基づく事業者の措置という形で社 会生活上の規範を構成しているとみることができる。5号規定は、この規範を前提 として性別変更審判の要件を規定するものであり、5号規定がその規範を定めてい るわけではない。
イ これらを踏まえて検討すると、性同一性障害を有する者は社会全体からみれ ば少数である上、性別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による 身体的な特徴に対する不快感等を解消するために治療として外性器除去術等を受 け、他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えている者も相当数存在 する。また、上記のような身体的な外観に基づく規範の性質等に照らし、5号規定 がなかったとしても、この規範が当然に変更されるものではなく、これに代わる規 範が直ちに形成されるとも考え難い。さらに、性同一性障害者は、治療を踏まえた 医師の具体的な診断に基づき、身体的及び社会的に他の性別に適合しようとする意 思を有すると認められる者であり(特例法2条)、そのような者が、他の性別の人 間として受け入れられたいと望みながら、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じ させると想定すること自体、現実的ではない。

まあつまり

・今までの浴場における分類は身体的な外観に基づいて行われていたが、合理的な理由が認められる。
・5号規定がそのような規範を定めているわけではないので、それがなくなってもこの規範が変わるわけではない。
・規定があるから手術しているわけじゃなく、嫌だから性同一性障害として手術する人もいる。
・性同一性障害者はそもそも医師の判断に基づいているので、わざわざ性同一性障害を持つものが社会的混乱を生じさせるとは考えにくい。

ということのようだ。

これには重大な前提が抜けていて、この法律を悪用しようとするものが一定数いる可能性があること、そしてそもそも性別を変更したいというものが性別の象徴でもある元々の性別の性器の外観を変えようと思わないのは不自然であるということである。
さらに少数であるからと言って、大多数の不利益を無視していいということにはならない。


まとめ

・前提
戸籍上の性別変更に関する法律の違憲判決であるから直接的に女湯問題には関係ないが、間接的に影響はある。
以下、この前提のもとで

・4号規定の意見判決部分について
4号規定の違憲判決は女湯問題を考えた時、元々の生殖機能を持ったものが同じスペースにいることは脅威と考えられるが、まだ甘受できる。

・5号規定の差し戻しについて
前述の通りこのような法律は社会通念に大きく影響している前提で、女性専用スペースに男性器を有したものが入ることができないのは羞恥のみならず、性加害のリスクを低減させる効果をもち、法律を悪用するものの存在を考慮するとこの差し戻しは看過できない。




最後に


この判決の違憲部分と差し戻し部分両方を通して思うことがある。

第一に実際の大多数のトランスジェンダー(以下書くのがめんどいのでTとする)の方の意見はどうなんだろうかという点である。


今回の判決は裁判官からすればTの方に寄り添う判決となったのだろうが本当にそうだろうか。


事実ネットでは今回の判決により、おペニペニをぶら下げて女湯に入れる時代が来てしまった(ここまで紹介した通りこの違憲判決だけではそのような時代は来ない)ような言説など否定的な意見が多いように思った。


真に重要なのはTとその他一般の性が互いのことを理解して、互いの利益を最大化することができる社会の実現である。


しかしこの判決はそのような社会の理解が追いついていない状況下での判決、さらに言えばその理解醸成そのものを阻むものになっていないだろうか。


Tの方が悪いわけではなくそれを利用とするものが悪いのであって、それを利用しようとするものに利するような判決がTの方への偏見につながってないだろうか。


そして5号規定の差し戻しについて言えば今まで理解に努めてきて、事実切除手術をした人たちの気持ちはどうだろうか。

もちろん間違っている規定に従った人が既にいるのだから、今後も未来永劫そうすべきと言うつもりはなく、その規定に合理性があった上でそれに従うことで理解を得ようとしてきた人たちという意味だ。特例法の施行から約19年が経つ中で性別変更の審判を受けたものは1万人を超えるという。

この人たちは裁判官が言う「生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果等をもたらす身体への強度の侵襲」を甘受してまで別の性別として認められたいという欲求があり、しかもそうすることでTの理解醸成を図ってきた人たちということになるだろう。
もし仮にこの仮定が成り立つなら、この判決はその1万人程度の努力を踏み躙る可能性さえ孕んでいる。



特に5号規定が差し戻され、仮に違憲判断が下った場合の社会の混乱とTの方への偏見や差別がより一層強くなることは必至だろう。

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