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悟りも奥が深い!ヴィヤーサの自己反省と究極の謙虚さ

第一巻第四話 ヴィヤーサの落胆

シャウナカはナイミシャの森に集まった聖仙たちの最年長者として、スータウグラシュラヴァスを称賛し、次のように頼んだ。「スータよ、聖仙シュカがパリークシット王に語った物語をお話しください。その講話はいつ、どこで、どのような機会に行われたのでしょうか?また、ヴィヤーサは誰のためにこの長大なサンヒター(集大成)を編纂したのですか?
ヴィヤーサの息子シュカはすべてを平等に見つめ、性別の区別もせず、常に神に集中していましたが、その無垢さゆえに愚者と見られていました。パリークシットはなぜこの聖者と対話し、バーガヴァタを教えてもらったのでしょうか?
また、パリークシットは主の信者の中でも最も偉大な者の一人でした。その王がどのようにして生まれ、なぜ死の断食を誓って未来を捨てたのか、その物語をどうか語ってください。」「ヴェーダ以外の全ての伝承(プラーナ)を習得されたスータよ、どうかこの機会にこれら全ての質問に答えてください。」

ウグラシュラヴァスは質問に答え、次のように説明した。ドヴァーパラ・ユガに、ヴィシュヌの部分的顕現である聖仙ヴィヤーサは、パラーシャラとサティヤヴァティーの子として生まれた。時が経つにつれ、人々の義務は増え、能力は衰え、理解力が低下し、短命になるのを見た聖者は、社会と人々の幸福について深く瞑想した。ヴェーダの祭式を執り行う四人の祭官(ホートリ,アドワリュ,ウドガートリ,ブラフマン)を見て、聖者は一つだったヴェーダを四つに分けた。リグ(神々への讃歌)、ヤジュル(儀式のマントラや祈りの文句)、サーマ(讃歌の旋律や音楽)、アタルヴァ(祈祷,護符,呪術など)の四ヴェーダに加え、イティハーサ(叙事詩)とプラーナ(神話)は第五のヴェーダと呼ばれた。聖仙パイラはリグ・ヴェーダ、ジャイミニはサーマ・ヴェーダ、ヴァイシャンパーヤナはヤジュル・ヴェーダ、聖仙スマントゥはアタルヴァ・ヴェーダを教え、私の父ローマハルシャナは叙事詩とプラーナを理解していた。聖仙たちは各ヴェーダをさらに細かく分類し、弟子たちに伝え、それが次々に広まり、多くの聖典が生まれた。このようにして、ヴィヤーサは知力の乏しい者でもヴェーダの一部を理解できるようにした。

ヴィヤーサは、ヴェーダを聞くことが許されない女性、シュードラ(労働階級)、堕落したブラーフマナ(知識階級)、クシャトリヤ(秩序や防衛活動階級)、ヴァイシャ(生産や経済活動階級)が善行を行えるように、マハーバーラタを編纂し、それを聞くことで祝福が得られるようにした。しかし、これほど尽力してもヴィヤーサは満足せず、不安を感じ、サラスワティー河の岸辺で独り言を言った。「マハーバーラタを書き、ヴェーダの目的を明らかにしたが、私の魂はまだブラフマンを悟っていない。ダルマについて十分に説明していないからだろうか?神を悟った聖者たちが愛されるのは、このダルマであり、これこそがクリシュナが愛するものなのに。」
ヴィヤーサが悲しんでいると、神仙ナーラダが現れた。ヴィヤーサは立ち上がり、天界の聖者に礼拝を捧げた。

※※※
えっ、聖仙ヴィヤーサさん、部分的とはいえ主の化身なのに悟ってないって!?
しかも最高の智者で、フツーじゃない力まで持ってるのに!これは意外すぎてビックリだわ。
でも、よくよく考えてみると、これってヴィヤーサさんの謙虚さと自己反省の現れだよね。「ブラフマン(最高真理)を完全に悟っていないのではないか?悟りについての説明がまだ十分じゃない!」なんて、この世界には「私、悟ってます」と声高らかにおっしゃる方はいるのにねぇ。
ヴィヤーサさんは私たちを導くために、さらに高みを目指してるんだろうね。
御足に礼を捧げます(パーダスパルシャ)。

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