親孝行はもう済んでいる
臨月。
出産予定日の10日前。朝の5時。
夫を送り出すために、私は台所で夫の弁当の準備をしていた。
「あ」
よくわからない初めての感覚を股に覚えた。
何かが、おかしい。私はすぐにトイレに駆け込んだ。何だか水のようなものが漏れているような気がする。
もしや、破水?
破水といえば、イメージ的にはバシャっと、バスタオルが必要なくらい股から羊水が漏れるイメージだけど。チョロチョロ漏れてるんだよなぁ。破水かなぁ。どうかなぁ。なんてことを考えながら、私は夫に何かあれば連絡すると告げて、夫を家から送り出した。
その後、病院に電話をし、すぐに来てくださいと言われた。5歳の長男を叩き起こし、歩いて5分ほどの実家にすぐに連絡を入れる。
「破水したっぽい。今から病院に行くけん、長男をお願いしていい? あと、お父さんに病院まで送って行ってもらいたいんやけど」
私からの電話を受けて、すぐに父と母が家まで来てくれた。私は準備していた入院グッズと共に父の車に乗り込んだ。5分ほどで産婦人科に到着。すぐに診察をしてもらう。
前期破水。
前期破水? 陣痛発来前の羊水の漏出らしい。このまま陣痛がこればいいけど、来なければ促進剤を打ちましょうねと言われ、とりあえず入院する個室へと私は案内された。
えー!促進剤とか嫌なんやけど!
私は焦った。
安全とはいえ、リスクがある促進剤は可能な限り打ちたくない。私はなんとかして自分で陣痛を促すべく、個室でスクワットをしてみたり、階段を上り下りしたりと、とにかく病院内を動きまくった。
今日の昼間に絶対、産むと決めて。
そもそも私は、お腹の赤ちゃんにずっとこう呟いていた。
「平日の昼間が費用が安いから、平日の昼間に生まれておいでね〜。夜中はお兄ちゃん預けたり大変やし、平日がいいよ〜。安いし〜。あとはお兄ちゃんと同じくらいの大きさで生まれてきてね〜。お願いよ〜」と、でかくなり続ける腹を擦りながら優しく声をかけ続けていた。
お腹の赤ちゃんは成長が早くて、このままだと3,500gぐらいになりそうな勢い。上の子の時は2,800gぐらいだったし、同じくらいのサイズで産みたいと、私は強く願っていた。だって、赤ちゃんが大きければ大きいほど、お産は大変そうな気がする。
今日産めば、2,800g前後で産めそう。それに今日は平日。絶対に昼間に産む。夜までは持ち込まない。
保育園に長男を送り届けた母が病院にやってきた時、私はバランスボールに乗りながら、母にその決意を伝えた。テレビでは朝のワイドショーが流れている。
「お兄ちゃんの泊まりの準備もせないかんし、お母さんは一回帰るね。何かあったら連絡して。おとんは立ち会うと?」
「あたたたたたた。いや、立ち会わん。一人目の出産で立ち会ってもらったけん、今回は一人で産んでもいいかなと思って。あたたたたたた。なんか、血を見てドン引きしとったみたいやし。おとんがおっても、やることないしね。じゃあ、お兄ちゃんよろしくね〜。産まれたら連絡する〜。あたたたたたた」
少しずつ感覚が短くなっていく陣痛に耐えながら、私は病室から母を送り出した。
痛いけど、このままいけば昼間に産めそうだ。
私は一人、もくもくとスクワットを続けた。
痛みが出始めたので、私はベッドで横になった。陣痛の感覚が短くなって腰が割れそうに痛い。
あたたたたたた。
ああ、もうイキみたい。産みたい。
私はたまらずナースコールを押して、助産師さんに開き具合を見てもらう。
「いい感じで開いてますよ〜。順調ですよ〜」
「は〜! いったい!」
助産師さんがお尻の辺りをボールで押して、いきみ逃しをしてくれると楽になった。
はあ、はよ、産みたい。
ワイドショーを見つつ、バランスボールに乗りつつ、痛みに耐えていると、子宮口がいい感じに開いて、分娩室の一つ前の部屋に通される。
「歩けますか?」と聞かれて、「歩けます」と自分で歩いていく。
ここでもいきみを逃しながら、陣痛に耐えた。
あたたたたたた。マジいてー。早く産みたい。でも、元気。なんとか耐えられる。
ここでもスクワットをして陣痛を早めようとする私。やる気マックス。子を産みマックス。
とその時、風船が破裂するような感覚があった。バシャっと音がした。足元を見ると、床が濡れている。
破水だ。
一気に陣痛がガンガン進む。
もう出そう!
うん子でる。
うん子じゃねぇ。
息子がでる。
早く産ませろー!!
アタタタタタタ!!
ヒッヒッフーの間に、
「まだですか?」
「もうちょっとですよ」
みたいなやりとりをして、やっと分娩台に乗ることができた。
「頑張ってー。今ですよー」
「え? 今? は〜い」
「力抜いてー。頭見えてますよー」
「マジですか! がんばります」
「おかーさん、元気ですねー」
「はい。元気で〜す。はよ、産みたいで〜す」
を繰り返す。
おんぎゃー、おんぎゃーと赤子の泣き声が分娩室に響いて、胸元に生まれたばかりの息子を乗せてもらう。
「元気な男の子ですよ〜。お母さんお疲れ様さまでした〜」
「ありがとうございます〜。はー、疲れた」
びりびりと裂けた股をちくちく縫われているが、股の感覚はもう死んでいる。
そこにあるのは達成感のみ。
やり切った。私は予定どおり、平日の昼間に息子を産んだんだ。
私は息子が元気に生まれた安堵感と、やりきった満足感に浸っていた。
テレビなどの出産シーンで泣いているお母さんをよく見るけれど、私は結局、一人目の時も二人目の時も泣かなかったなぁなんてことを考える。
「お好きなお飲み物をどうぞ」
助産師さんがメニュー表を出してくれて、私はノンカフェインのカフェラテをいただくことにした。
一人目の時は深夜の出産だからか、こんなサービスはなかった気がする。至れり尽くせりで、その上、深夜料金もとられない。平日の昼間、バンザイ!
出産ズハイになった私は、スマホを取り出し、分娩台の上で、いろんな人に出産を報告。
勢い余って、妊娠を報告していなかった知人にまでついついメールを送りつけていた。
お祝い目当てだと思われたらヤダな〜と思いながら、自分の浅はかな行動を反省しつつ、カフェラテをずずっと啜る。
元気な男の子。
リクエスト通りに平日の昼間に、お兄ちゃんと同じくらいの体重で生まれてきた次男。
これ以上ない程の、親孝行をありがとう。
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