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すぐそばにある誘惑

その日は何も捗りそうにないほどに暑い日だった。

じっとりと汗が染みたシャツを一日着ていたせいで、私は自分の汗臭さにうんざりしていた。世間は盆休みだったが私に盆休みはなかった。とはいえ、少し盆休みからずらして有給休暇を取る予定にしてはいたので、世間の盆休みを羨ましいと、じっとりとした視線を送り続けるような必要はなかった。それがせめてもの救いだと思った。休みが等しく平等に与えられているのであれば、それは心の余裕となる。結局私は、世間と自分とを比較して、全ての物事を損か得かの損得勘定で計算しているせせっこましい人間なんだな、と思った。誰かより損をしたくない。誰かが得をしているのが羨ましい。物事の見えている部分は氷山の一角であり、それだけで何かを勘定すると言うのは無意味だと知りつつも勘定してしまう。そろばんの弾き方も知らないくせに、頭の中でパチパチと音が鳴り響く。

家に帰ると、盆休みで暇を持て余していた夫がダイニングテーブルの横の壁に棚を作っていた。ポータブル冷蔵庫のすぐ横であり、ダイニングテーブルのすぐ隣。出来上がった棚には酒瓶が並べられていた。そして、炭酸水を作るためのソーダストリームも。

「今日は棚でも作ろうかな」と言っていたので、帰ったら棚ができているかもしれないなとは思っていたが、面倒になれば作らないかもしれないとも思っていた。夫は有言実行の男だった。

「すごい! ぴったりに作ったね〜」

私が夫に声をかけると、夫はそうだろうそうだろう、と非常に満足げな表情を浮かべていた。

「これで、すぐに酒が作れる」

その一言を耳にして、危険なエリアができてしまったのではないかと私は思った。
ポータブル冷蔵庫には飲み物が所狭しと冷やしてある。ビールにホッピー、そして水や炭酸水や炭酸飲料。そしてその隣の棚には、焼酎やウイスキー、リキュールの瓶が並べられることになった。

本当にいつでも好きな酒が、キッチンに行かずとも飲めてしまうではないか。

ちなみにキッチンまでは、ダイニングテーブルからおおよそ七歩でつく。そう遠くはない。遠路はるばるキッチンまでよくお越しになられました、とはならない。それでも、この七歩と言うのは、大きいような気がしている。食器を洗うのが面倒くさい時に、食べ終わった食器の目の前を通って、7歩も歩いてまで酒を作ろという気にはならなかった気がする。きっとこのダイニングテーブルと酒瓶の絶妙な距離感は私の飲酒に対する抑止力になっていたような気がしてきた。いや、それは妄想かもしれない。自分の欲望を制御できた夜が未だかつてあっただろうか。覚えていない。記憶の片隅にもない。

少し体を傾けるだけで、冷えたビールが、冷えた焼酎のソーダ割りが、モヒートが、ハイボールが飲めてしまう。

あゝ、よくない。今宵も酒が捗りすぎる。

しかし、カウンターキッチンに所狭しと並べられた酒瓶が非常に邪魔だったので、棚ができたことにより片付いた。スッキリして家事も捗るなあ、と思ったのは妄想ではなく事実である。





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