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プレジャー・ランドへようこそ_最終話

↓  第3話


14

「だいじょ〜ぶですか〜? ここ結構、落下する人がいるんですよね〜」
ノキアは横に立った声の主の顔を確認する。ノキアは入り口の時にいたピエロの女の子だと気づく。

「大丈夫です」
ノキアはカートに乗ったままピエロの女の子の質問に答える。ピエロの女の子が笑いながら手を差し述べた。ノキアは差し出された手を取る。
「ありがとうございます」

ノキアがお礼を言うと、ピエロの女の子はニコッと笑って、グッとノキアを引き寄せた。ノキアは近くで女の子の顔をまじまじとみた。やっぱり白塗りの顔の下はノキアと同じ中学生くらいに見える。どこか幼い。

ニコッと笑った目の右下にほくろがあった。さすがに白塗りでも消せないらしい。その目の右下のほくろがいやに印象的で、ノキアは胸騒ぎを覚えた。
「どういたしまして。ねえ、あそぼ!」
ピエロの女の子はノキアに笑いかけた。甲高い声が頭に響く。

なんだか嫌な感じがして、ノキアは返事ができなかった。
「ねえねえ! 名前は? あそぼうよ!」
ノキアはさっきよりも一層、怪訝な顔をした。ピエロに名前を聞かれるなんて想定外だ。

ノキアが答えないでいると、
「あ、最初に自分が名乗らなきゃだよね。アタシ、ピノ。よろしく」
とピエロは言った。カートから降りる時に繋いでいた手が繋ぎっぱなしになっていて、その手をピノがぎゅっと握った。それもかなり強く。

ピノ? それって操り人形の名前じゃないの? とノキアは思う。
「あ、ああ、ノキア。よろしく」
手の握り方とピノの視線に謎の圧を感じて、ノキアは名前を答えた。

「ノキア! とっても素敵な名前ね! 友達になれそう! ピノね、ここの支配人の娘なの! ずっと移動ばっかりしてるから友達がいなくて、友達がずっと欲しかったんだ! ねえ! あそぼ! あそぼ!」
ピノは表情をくるくる動かしながら喋り続けた。
見た目は同じ年くらいに見えるが、異様に中身が幼い印象を受ける。

「ピノ、いっぱい楽しいとこ知ってるから! あそぼ! ねえ、ノキアあそぼ!」
ピノはノキアの手を握ったまま話し続けた。ピノの背丈はノキアより10センチ以上低いが、意外に力が強い。ノキアはその手を振り解くことができないでいた。

「友達が探してるかと思うから……」
ノキアがやんわりと断ると、「じゃあ、ピノも一緒に行く!」とピノはノキアの手を握ったままグングンと進んだ。

今、自分がどこにいるのかがわからないノキアには、一緒に行ってもらえるのはありがたいと思った。しかし、どうしてもこの子とはあまり関わりたくないな、という気持ちが拭えない。
それに、先輩たちに会ったらなんて言おう。

ピエロと友達になったなんて、なんか言いづらい。めんどくさいことになったなあ、なんて考えている間も、ピノはずっとノキアに話しかけ続けた。
会話というより、ピノは一方的に話し続けてくる。パスというよりかは、壁相手にパスの練習をしているようだ。ノキアは自分が壁になったような気持ちになった。

ピノはどのアトラクションがおすすめだとか、隠れモンストロがいるんだとか、オレンジのブラウニーは美味しかったのに、新作のいちごのブラウニーが大して美味しくなかっただとか、そんなことを話し続けた。ピノが話す内容に共通しているのは、全てプレジャー・ランドに関する話ということだった。

ノキアは、尋ねた。
「ねえ、ピノは学校、行ってないの? 」
ピノはきょとんとした表情を浮かべて、その少し後に、甲高い声でキャハハと笑った。笑った声がどこか懐かしい笑い声のような気がした。一瞬甲高くなった声が、急に低くなる。ノイズが入ったようなざらざらとした声質。

「ピノは学校なんか行かないよ。だってピノ、操り人形だもん。ノキアも知ってるでしょ。テレビで見たんじゃない?  夢の中でも遊んだよね。それに学校? みんな行きたくないところでしょ。そんなところにピノは行かないの。絶対に行かない。楽しいわけないもん。ピノは操り人形だけど、ほんとの操り人形にはならないの。だってみんな、夢の中でぐちぐち悩んでるもん。ピノはそれ、知ってるから。だって学校なんてさ、よくわかんない寄せ集めの集団なんでしょ。それにえらっそうな態度の先生に、大して面白くもない教科書を読むだけの授業。女子は女子で、見得だのマウントだのの取り合いで。男子は男子で、アホだしさ。行く意味ないんでしょ? あんなとこ」
行きたくないとは思ってるけど、あまりに悪意のある言い方にノキアは戸惑った。ノキアが何も答えずにいるとピノは続ける。
「学校に行くとか行かないとか、そんなしょーもないことは、心からどうでもいいんだけど、ねえ、それよりノキア、入り口で配ってたキャンディー食べた?」

キャンディー? ああ、黒い服のスタッフが帽子の中から出してたやつか、とノキアは繋がれていない右手をポケットに突っ込んだ。大量のガムの中に、キャンディの包み紙。まだ……と言いかけた時、ピノは続けた。

「あのキャンディね、ピノが作ったの。みんなの悩みがなくなるように、色々工夫してあるの。味はちょっとイマイチだった気もするけど。それよりあのふわふわしたモヤをキャンディから出すの大変だったんだよね。あああ! でも、絶対すごいの! あのキャンディ! 作るの、本当に本当に大変だったんだから!パパに内緒で自分で勉強して作ったの。しかも、ちゃんと悩める中学生用にしたんだよ。すごいでしょ! これが上手くいったら、世界中の悩んでる人の悩みを解決してあげれる!」
ピノは早口で捲し立てた。低めの声にノイズが入り、ノキアには聞き取れない。夢の中での会話みたいだ。

「みんなの悩みがなくなったら、多分、ピノ、ほんとの人間になれると思うの。だっていい子だもん。みんなの悩みをなくしたいい子になるの、ピノ。そしたら絵本のピノキオみたく、神様がピノを人間にしてくれるはず。今日は人の体を借りたけど、自分の体がほしい。そしたらパパもきっと喜んでくれる! ピノのパパはね、世界中の人を幸せにしたいって遊園地で世界を回ってるの。でもさ、みんな悩んでばっかりだから、パパがいくら頑張ったとこで意味ないんだとピノは思うの。行く街、行く街、どの街でもみんな同じように悩んでるの。ピノはみんなの夢を食べるから知ってるの。いっつも悪夢ばっかり食べてるから。夢を食べないとピノは動けないから仕方なく食べるんだけど、みんなが悪夢ばっかり見るから、ピノ、最近、悪い子になるってるの。だって、みんなが悪いんだよ。そのせいでピノが人間になれないかもしれない。だから、ピノはみんなの悩みをなくしてあげるの。生きてるから悩むんだよ。死んじゃえばいいんだよ。そしたら悩まなくっていいのに。ピノは悩んだりしない。だって人間になるって素敵だもん。みんなずるいんだよ。操り人形のピノからしたら、みんなずるい。それなのに文句ばっかり言ってバカみたいだと思うの。そんな人たちのためにパパが頑張る必要なんてないと思うの。だからピノはみんなを助けて、パパも助けて、いい子になるの。ピノキオはいい子にしてたから、神様に人間にしてもらえたんだし。キャハハ。多分、明日にはピノも人間になれると思うんだ〜。楽しみだな〜。そのためにはキャンディ食べてもらわないといけないの。い〜っぱいいっぱい作ったから、うまくいくといいなぁ」
ピノはものすごく早口で、しかもノイズのかかった低音で喋り続けた。ノキアにはピノがなんて言っているかは聞き取れなかった。でも、とても「食べてない」なんて言える雰囲気ではない。

「あ、あれって何味?」
とりあえずノキアは、食べていないことを誤魔化そうと話を逸らそうとした。

ノキアの質問にピノの表情が歪む。
「何味? 何味とかないの。そんなものにピノ、縛られたくない。味がなんだろうがどうだっていいの。くだらない質問、しないでほしいの。学校なんかに行くから、そうやって全部、型に嵌めようとしちゃうんだよ。どうでもいいものに縛られちゃうから悩むんだよ。本当は自由になりたいのに、誰かの作った箱に収まろうとするから、心が拒否して悩んじゃうんだよ。悩みたくないなら、縛られないようにしないと。またまずい夢ばっかり見ちゃうよ。大人になっても大人になっても美味しくない夢ばっかり見る大人になっちゃうよ。そんな世界ピノ嫌なんだよ。やめて! やめて! やめて! 美味しくないの嫌なの!!! やめろーーーーーーーーーーー!!!!」

ピノは急に叫び出した。白塗りの顔が歪む。ピノの異様な叫び声にノキアの背筋は凍りついた。ピノの手を思わず振り払う。

「ノキア、何? どうしたの? 何?」
「いや、何も……」

ピノははっと何かを思い出した顔をした。ノイズのかかっていた声が、幼女のような甲高い声に戻る。
「あ、ピノ、ちょっと用事思い出しちゃった。そろそろ、もっと、も〜っと、楽しくなる時間だと思うから、楽しみにしててね♡  今日は、いろんなイベント考えてるんだ! 最後がとっておきなの〜」

そう言い残すと、ピノはさっきまでノキアの手を握っていた右手を大きく振って、どこかに走って行ってしまった。大きく振るピノの手とは対照的に、ノキアの手は小刻みに震えていた。


15

はぁとため息が漏れた。
ピノと別れられてよかったという安堵と、よく分からない疲労感。

自分が今どこにいるのかもわからないノキアは、とりあえず周りを見渡した。気づけばそこはゴーカートの入り口だった。縦長のくねくねしたコースをイメージした建物。壁面では小さな車が走り回っている。

「あ! ノキア!」
翔太が前から手を振って歩いてきた。マイがノキアに駆け寄って抱きつく。

「ノキア! 大丈夫だった? 急にいなくなるからみんなで心配してたんだよ」
ノキアはちゃんとした人の体温を感じてホッとした。今思えば、ピノの手はとても冷たかったような気がする。人間ぽさを感じないような。人形のような。操り人形のピノとさっきの女の子は一体どういう関係なのだろうか、とノキアは考えた。考えても答えは出ないけれども。

「マイさん、ありがとうございます。大丈夫です。コースから外れちゃったみたいで……。で、誰が一位だったんですか?」
冷静さを取り戻したノキアが尋ねると、マイは自分の胸をポンと叩いた。

「もちろん、私に決まってるじゃん」
「さすがマイさん!」
ノキアはふぅっと息を吐きながら、笑った。

前からはレン、ハルト、エマ、ジュリが歩いてくる。ジュリはエマに抱き抱えられるように歩いてきた。
「どうしたんですか? ジュリさん」
「酔ったみたいで」
ジュリの代わりにエマが答える。
「酔ったって、ゴーカートで?」
「わかんないけど、なんかふわふわするんだって」
エマが答えた時、ジュリがキャハハと笑った。ピノみたいな笑い方だ。

「なんか、めちゃたのしいの〜」
ジュリがそう言った声は、かなり聞き取りずらかった。明らかに呂律が回っていない。酔っ払いみたいな。
「車酔いって言うより、酔っ払いみたい」
ノキアがそう言った時、どこからか鐘の音がした。

ーーゴーン、ゴーン

鐘の音がプレジャー・ランド内に響き渡る。何度か鐘が鳴り、鐘の音が終わると突如放送がかかった。

「みんな〜! 元気? 楽しんでる? ピノだよ! みんな、キャンディ食べたかな? 美味しかったでしょ。ピノ特製のキャンディ。楽しくなっちゃうやつ。悩みなんて、これで完全に無くなっちゃうの。悩みなんて空想の産物だから。わかってる? 悩むなんて無駄なんだよ。キャンディ、もっと食べたら、も〜っと楽しくなっちゃうから」
ピノは放送越しに甲高い声でキャハハと笑った。

「だ、か、ら! 今から、キャンディ探しゲームを始めちゃいたいと思いま〜す。ルールは簡単! 大広場の真ん中に、ピノがみんなの夢の中から、くっだらないフヘーやフマンを集めといたよ! その中にキャンディを大量に入れておいたからみんなで探してね! みんな大広場に集まれ〜。みんな、いっぱいキャンディ集めてね! じゃあ、ピストルの合図でスタートだよ〜」
キャハハと笑い声が聞こえて、ブツっと放送が切れた。

周囲にいたスタッフと思われる黒服の人や、着ぐるみのスタッフがおもむろに銃を取り出す。そして、スタッフたちは銃口を中学生に向ける。もちろん、ノキアにも、翔太にも、マイにも。

「え? 何? なんで人に向けてるの?」
ハルトもエマも、ノキアも、みんな焦り出した。
ジュリだけが焦りもせず、キャンディと言う言葉に反応している。
「え? キャンディ! 行こうよ。あれ、美味しかったの!」
ジュリがキャハキャハ笑いながら、エマの手を振り解こうとしている。
「ダメだって、ジュリ! なんかおかしいって」
エマがジュリの腕を掴んだ。

「ねえ、ハルト手伝って」
エマとハルト、マイがジュリを掴んだ。ジュリはそれをなんとかして抜けようとしている。体を右に左にとくねらせて、絶対にキャンディを貰いに行くと意気込んでいる。
「やめてよ! ジュリの邪魔しないで!」

ーーパン!!!!!

銃声。


みんなが銃声に驚いた。ジュリを捕まえていた手は、驚いた衝撃で離れてしまっている。ノキアは辺りを見回した。特に誰も打たれてはいない。ノキアが安堵した瞬間、エマの声が耳に飛び込んできた。
「ジュリ!!」

声の方を向き直ると、ジュリがどこかに向かって走っている。あたりにいた中学生たちも走り出した。中にはきょとんとしている子もいる。

きっとキャンディを食べた子が走り出していて、食べてない子は冷静なんだ。あのキャンディ、食べちゃいけないやつだったんだ。ノキアがそんなことを考えている間にも、走り出したジュリをエマとハルト、マイが追いかけていた。

「ノキア!」
翔太に呼びかけられて、ノキアはハッとする。レンと翔太、ノキアもジュリを追いかけた。

「レンさん、翔太、さっき……」
ノキアが一緒に走っていた二人に話しかけた。
「どうした?」
ノキアは二人にピノのことを話した。二人は顔を見合わせた。

「え? あのキャンディって、もしかしたら大麻グミとかそういうやつなのかな……」
レンの眉間に皺が寄る。
「もしかして、今、かなりヤバい状態? 中学生集めて、何する気なんだろ」
翔太も不安気な表情を浮かべた。

「何をするかはよくわかんない。でも、ピノはとにかく学校なんか行くもんじゃないって言ってた。それにいろんなイベントを考えてるって。しかも最後は特別だって。ピノを探したいけど、でも、ジュリ先輩も止めないといけないし、どうしよう」
ノキアは慌てた。レンがノキアの肩をポンと叩く。

「……どうするかな。とりあえず広場に行けば、その、ピノってやつもいるんじゃない? 自分で呼びかけたんだし。多分そこにみんな集まるだろうから、一旦、大広場に行こう」
レンの提案にノキアと翔太は「はい」と返事をした。

レンの後ろを走りながら、翔太は感嘆のため息を吐く。
「やっぱ、レン先輩かっこいいよな〜」
翔太はノキアに聞こえるくらいの大きさで独りごちた。
「かっこいいね。頼りになるし」
ノキアが大きく頷く。

「だろ? 元々、俺とレン先輩、小学校の時に入ってたサッカーチームで一緒にプレーしてたんだよ。その時からレン先輩めちゃくちゃかっこよくて。俺の憧れなの。で、俺が今年、怪我したり先輩たちにイビられてる時も、学校違うのに色々相談乗ってくれて。俺のリハビリにも付き合ってくれてさ。俺が、レン先輩の塾終わりに合わせて出掛けてくもんだから、なんか変な噂たっちゃって。まあ、夜に出ていく俺も悪いんだけど。先輩も、息抜きになるからって言ってくれるから、嬉しくてついつい遊びにいっちゃうんだよね。親にもちゃんと説明すりゃいいんだけど、親って子どもの話聞かないじゃん。話すだけ無駄だし、なんか説得しようとしてくるのもうざいしさ」
翔太は肩をすくめて、笑った。

「わかる。でも、いい先輩いてよかったね」
ノキアは羨ましくなった。
それにしても、走るたびにノキアのポケットに入っている翔太のお守りが、ノキアの太ももに当たってどうにも気になる。てっきりお守りを預かった時、先輩たちのことを不良だと思ったけど、翔太の話を聞く限り、不良ではなさそうだと思いなおした。じゃあ、翔太のこのお守りって何のために持ってるんだろうと疑問が湧く。護身用だろうか。

「でもさ、このお守りって……」
ノキアは翔太のお守りをポケットから出して翔太に見せた。
「かっこいいだろ? これ、偽物なんだよ。流行ってんの。うまく回せるようになったら、自慢できるから。あとで見せてやるよ。それに夜はどんなやつがいるかわかんないから、ほんとにお守りで持ってるだけだし」
翔太のドヤ顔がイラつく。
「厨二病っぽい」
思わずノキアは独りごちた。

大広場にはヘドロのプール。黒とも灰色とも緑ともつかない色。それは半分透明で、匂いはないが不快な印象を受ける。これがフヘーフマンってやつなのだろうかとノキアは思う。

ラリった状態の中学生たちが、ヘドロのプールに次から次に飛び込んでいく。顔をベタベタにして頭からヘドロを浴びながら、そのなかでモワモワと立ち上る煙を見つけては、キャンディを探しあてる。
キャンディを見つけた中学生たちは、フヘーフマンごとキャンディを飲み込んでは恍惚とした笑みを浮かべた。

悪夢。

ノキアは目の前の異様な光景に、これが夢だったらいいのに、と思った。思わず頬をつねる。

「いたっ」

夢じゃない。頭のネジが完全に外れてしまった状態の中学生たちは、そのキャンディを手に取るとどんどん口に放り込む。口に放り込んだ端から、みんなガリガリとキャンディを噛み砕く。舐めるのすら待っていられない、早く次を食べたいと言った様子だ。そして、キャンディを食べては皆、ぼんやりと視点も合わず宙を見つめていた。

「やめなよ! ジュリってば!」

エマの声が響いた。エマの声の先で、ジュリが一心不乱にキャンディを食べている。
「エマもたべなよ〜」
呂律の回らない、虚ろな目。
「私は食べないし、ジュリもやめて」
ほとんど泣いているような顔で、エマはジュリに訴えた。
「エマ、とりあえずジュリをここから出そう」
マイが冷静にそう言い、ヘドロをかき分けジュリの腕を掴んだ。その場に座り込んでいるジュリを引っ張る。ドロドロなヘドロに足が取られ、思うように体が動かない。

ハルトが「ジュリ、こっち」とジュリを抱き抱えようとした。
「な〜に? みんなもたべる〜?」
抱き抱えられて立ち上がったジュリがキャハハと笑った。
エマが半分泣きながら、ジュリを宥めるように、
「食べるから、ちょっとあっちいこ」
とジュリを引っ張った。

そこからは、あっという間だった。
ジュリが「あたしが、たべさせてあげる〜」とエマに馬乗りになって口にキャンディを突っ込んだのだ。
一つ口に突っ込んだだけでは飽き足らず、「まだあるよ〜」とエマの口にどんどんキャンディを放り込んで、エマにキャンディを食べさせた。もちろんその場にいたマイもハルトもジュリを止めようとした。

けれど、それは叶わなかった。
「なんかたのしそうなことやってる〜」
周りにいた中学生も参加し始めたのだ。たくさんの中学生がわらわらとエマとマイ、ハルトに近寄ってきて、みんなで寄ってたかって三人にキャンディを食べさせた。少し離れた場所にいたノキアも翔太もレンも、もちろん止めに入ったが、他勢に無勢だった。リミッターの外れた中学生たちは、全く周りが見えていない。

「邪魔すんなよ」と辺りにいた中学生たちが喧嘩腰にノキアたちを突き放した。気づけばエマもマイもハルトも目が虚ろで、いつの間にかキャンディを食べる側になっていた。ミイラ取りがミイラになる瞬間をノキアは初めて目にして、血の気が引いた。

「ここにいたら、俺たちまでキャンディを食わされる」
レンの一言で、三人はその場を離れることにした。移動していく途中で、まだミイラになっていない中学生にあった。3人は声をかけながら歩く。

そもそもプレジャーランドに何人いたのかは分からないが、大部分の人間はどこかのタイミングでキャンディを食べてしまっていたようだった。
中学生はノキアたちを含めて30人ほど集まった。とりあえず大広場から離れた入り口付近の建物の影に集まることにした。それにしても、あれだけたくさんいたスタッフをここに来るまでの間、全然見かけなかったことをノキアは不思議に思う。

「ねえ、何が起きてんの?」
「マジで怖いんだけど」
皆が次々に不安を口にした。
レンが、ノキアから聞いた話をかいつまんで説明する。

「さっさと逃げようよ」
「友達がまだ残ってるんだけど」
「そのピノってピエロを探して止めた方がいいんじゃないの?」

それぞれが色々な意見を口にし始め、ガヤガヤとしたまとまらない空気が漂った。関わりたくないと思う者や、友人を助けたいと思う者もいれば、流れに任せようとしている者。リーダーのいない寄せ集めの集団では、まとまるものもまとまらない。

「俺は友達があんな状況になって、自分だけここから帰るなんてできない。それに、ピノが何をやろうとしてるかわからないけど、とりあえずピノを探す。ピノが作ったなら、解毒方法もわかるはずだ。多分、あのままキャンディを食べ続けたら、やばいと思うし。なんとかして、友達を助けたい」
レンが熱を帯びた表情で熱く語った。それを聞いて、うなづく人もいれば、白けた目で見てる人もいる。

「なんかカッコつけてるとこ悪いけど、所詮、中学生の俺たちに何ができんの? 大人呼んできた方が早くない? とりあえず、俺はここから出るから」
その中の一人、黒縁メガネをかけた賢そうな男子が冷たく言い放った。

「何ができるかわからないけど、何もしないよりいいだろ?」
翔太がその男子に掴み掛かり、レンがそれを制止する。
「翔太、大丈夫だって。そうだね。君の言うことが正しいと思う。とりあえずここを出たら大人を呼んできてほしい」
「なんでお前の言うことを聞かなきゃなんねーんだよ」
黒縁メガネが、レンを睨んだ。

「もう、やめなって。ここで揉めても仕方がないし、出たい人は出たらいいじゃん。私はそのメガネくんの意見に賛成。でも、こんなことになって、どうせ大騒ぎになるのは間違いないんだし、道を挟んだ先の交番で警察に説明するよ。残りたい人は残って助ければいいじゃん」
大人びた風貌の女子が、首を傾げながら正論で空気をぶった斬った。

「確かにね。分散した方がリスクが減っていいかもね」
周りの中学生も、彼女の意見に賛同したらしく、それぞれ自分の思い思いに行動しようと言うことでまとまった。

話し合いがまとまり、さて今から動こうとしていた時に、どこからか声がした。
「どうされました?」

声の主はイカれた表情のピンクのうさぎ。徐々にノキアたちに近づいてくる。手には銃を持っている。
「もう帰ろうと思って」
さっきの女子が返事をした。
「残念ですけど、帰れません」
冷たく言い放つと、ピンク色のうさぎは銃口をこちらに向けた。

皆、口々に「ここから出せ」だとか「俺たちをどうする気だ」とか「警察に通報する」だとか、口撃を始める。
「帰れないって言われても、帰るから」
黒縁メガネがピンクのうさぎを突き飛ばして、うさぎの脇を通り抜けようとした時、前方からピストルの音が聞こえた。
皆、一斉に前を向く。視線の向こうからピノがゆっくりとピストルを持って歩いてきた。

「ねえ、みんな、何してんの? なんでキャンディ食べてないの? ピノがせっかく作ったのに。食べないなんて、ピノのことバカにしてんの? それにさ、ここを出ていくとか、バカなの? 帰すわけないじゃん」
ピノがツカツカと歩いてくる。
「なんでお前の言うとおりにしなきゃいけねーんだよ」
黒縁メガネがピノに詰め寄った。

「うるさいっ!」
ピノが再び銃を打つ。黄色い閃光のような瞬きが広がって、ノキアは思わず目を瞑った。あまりの刺激的な明るさに、ノキアはしばらく目が開けられなかった。キャーという耳をつんざくような女子の叫び声が聞こえて、ノキアはゆっくりと目を開けた。白くなっていた視界に、徐々に視力が戻ってくる。前を見ると黒縁メガネの男子がその場で倒れていた。皆、黒縁メガネが倒れていることに気づく。叫び声や不安、怒号。あたりは様々な声でいっぱいになった。

さっきまで甲高かったピノの声に、再びノイズが入る。

「だいたいさぁ。あんたたちみたいな、くだらない自分のことしか考えてない、ジコチューなシシュンキのせいでピノがこんな風になったんだよ。わかる? グチグチ悩んでさ、キョーフシンだけを夢に置いてくオマエらに、フヘーフマンのヘドロを食べて生きてくピノのきもちが!! わかんねーよな! わかってほしくねーし。ずるいんだよ、オマエらは。なんにもわかってねーくせして、なんでもわかってる顔して、文句ばっかり言いやがって! 人間の体があるってだけで幸せなくせに! せっかくピノが悩みなんてなくしてやろうと思ったのにさ!」

ピノの顔が苦痛に歪む。大きなな瞳からポロポロと涙がこぼれ出した。ピエロのメイクが剥がれていく。剥がれたメイクの下を見てノキアは驚く。

「え? 皐月?」

「は? 誰だよそいつ。勝手に泣いてんじゃねーよ。この体、うぜーな。それにお前もウゼー。夢の中でも現実でもウダウダしてるくせに、ピノに向かって話しかけてんじゃねーよ」
ち、と舌打ちして、ピノはぐいっと涙を拭いた。右の目のメイクが完全に落ちた。

やっぱり間違いなく皐月だ。ノキアはわけも分からず衝動的にピノに向かって走り出した。ピノがノキアに銃口を向ける。
翔太とレンがノキアを止めた。
「ノキア危ない!」
ピノがその場で高く高くジャンプをし、とん、と建物の天井に乗った。明らかに人の所業ではない。皐月にそんなことができるわけはない。皐月ではないと信じたいけど、明らかにあの顔は皐月だった。

ピノは大声を出した。よく聞けば、皐月の声だ。なんで、皐月が……。
「予定が狂っちゃったけど、今から最後のイベントを始めるよ! みんな覚悟してね〜。こんなつまらない世界、生きてるなんて意味がないんだって。みんな気づいてないみたいだから、ピノが教えてあげよう思ったのにさ〜。バカなんだな〜、みんな。でも、ピノは優しいから、みんな、連れてってあげるよ。ピノと一緒にくだらないルールも学校もない、楽しい世界に行こ〜。お前たちがいなくなれば、ピノも自由になれるから〜」

そう言い終わると、キャハハと笑って、指をパチンと鳴らした。ピノの指の合図を皮切りに、至る所から、パチンパチンと何かが弾ける音がする。

周りを見回すと、建物が萎んでいくのがわかった。アトラクションも建物も、全てが萎んでいく。
「バルーンの空気が抜けてる?」

その瞬間、足元がぐらついた。まるでトランポリンみたいに、足元がぐらぐらとして、不安定で立つことも難しい。

「あ!」

レンが天井を指差した。

天井を見上げると、次第に闇が迫ってくる。夜空を模した天井が落ちてきているのにノキアも気づいた。

「何か臭くない?」
翔太が鼻をクンクンさせた。

ノキアも匂いを嗅ぐ。明らかな異臭。
絶体絶命の空気感と、異様な悪臭が周囲に漂う。

「みんな、おやすみ〜。ピノがみんなをモンストロで素敵な世界に連れてくから〜。どこに到着するのかは、起きてからのお楽しみ〜♡」

ピノのキャハハと笑う声だけが、街中に響いた。あたりを見回して見ても、ピノの姿はもうどこにもない。

「さっき、皐月って言ってたけど、あの皐月?」
翔太がノキアに尋ねる。
「わかんないけど、声も似てたし、右目の下のホクロも一緒だったし」
「そういやこないだ、皐月のかーちゃんが働いてるコンビニ行ったけど、皐月、学校休みがちって言ってたし、なんか知ってる?」
ノキアは首を振った。何も知らない。親友だったのに……。

「あいつが誰でも、今はどうでもいいだろ! ここから出ることを考えないと」
レンが一喝して、二人は我に帰る。

「すみません」
そんなことを言っている間にもガスは充満し、天井はこちらの都合も無視して落ちてきた。次第に頭もぼんやりする。足元もふわふわとして、何か宙に浮くような感覚。まるで風船ごと浮いているような。これもガスの影響だろうか。

出口に走ろうとしている人もいるが、あまりの不安定さに皆、前へ進むことが難しい。

「さっき、モンストロでどっかへ連れてくって言ってたよな。モンストロってそもそもなんだよ」
翔太の眉間にシワがよる 。
「モンストロってクジラ! ピノキオの話に出てくる怪物のクジラ!」
ノキアが言う。
「もしかして、プレジャー・ランドそのものがモンストロってこと?!」
レンが天を仰いだ。

ーーゴゴゴゴ

地鳴りのような音がプレジャー・ランド全体に響いた。
「何? 何?」
一斉にみんながざわつく。
「天井? 天井じゃない? このドーム、屋根が開くし!」
ぼんやりした頭の中で、後悔の言葉だけがはっきりと聞こえる気がした。なんでこんなとこに来ちゃったんだろうという後悔。そして、どうしたらよいのかがわからない虚無感。ノキアはどうすることもできずに、その場で立ち尽くした。

「あ!」

翔太が思い出したようにポケットの中からお守りを取り出した。そして、くるくると回す。バタフライナイフだ。

「あれ? これ練習用だ」
翔太が間の抜けた声を出す。
「なんだよ、期待させんなよ」
レンが翔太の肩を小突く。
「レン先輩、持って来てないんすか?」
「持ってこねーよ。入場口でチェックされたら没収されるだろうが」
「確かに!」
翔太は感心しているが、今はそれどころじゃない。
「あ!」
翔太がまた大声を出した。
「ノキア、お前に渡したのが本物だ! 貸せ!」
ノキアは慌ててポケットに手を突っ込んだ。翔太にお守りと渡されたバタフライナイフを手に取る。

「翔太、パス!」
ノキアは翔太に向かって、バタフライナイフを投げた。その瞬間、地面が斜めに傾いた。ノキアは思わずその場で倒れた。パスしたバタフライナイフが、翔太の足元に落ちる。翔太が手にしようとした瞬間、バタフライナイフが滑って、ノキアの手元に戻ってきた。

「ノキア、割れ! これ風船だから割れるかもしれない!」
レンが叫んだ。
ノキアは慌ててバタフライナイフを握る。使い方がわからない。

「何これ、どうすんの?」
「左右に開いて、握るんだよ!」
翔太の苛立った声が聞こえる。
「ノキア!! 早く割れ!!」
バタフライナイフを左右に開き、柄を両手で握る。両手で一気にナイフを地面に刺した。全く刃が立たない。

「硬くて無理だって!」
ゴムっぽい感触はあるが、破れそうにない。
「一気に行け! 諦めるな!」
ノキアはバタフライナイフに全体重をかけた。
翔太とレンが、傾く地面を転がりながらノキアに近づいた。二人ともノキアの手を握って、力を込める。ノキアの手に柄が食い込み、バタフライナイフの刃はゴム製の地面に食い込んだ。

すっと力が抜けた。

え?
なに?

ノキアがそう思った瞬間、耳に爆音。何かが弾ける音。鼓膜が破れたんじゃないかなと思うくらいに、とてつもなく大きな弾ける音がした。あまりの爆音にノキアの意識が遠くなる。


16

「つめたっ」

ノキアはずぶ濡れになって倒れていた。

目を開けると、ドームの天井から雨が降り注いでいる。冷たい冷たい雨。耳にはザアザアと降り注ぐ雨の音と、ざわざわとした大人の騒ぎ声。

雨粒が目に入り、ノキアは思わず目をこする。分厚い雲の向こう側で、ちらりと満月と目があった。白白と夜が明けていく。満月が、「もう夜は終わりだよ」と言った気がした。

その日のことは全国的な大ニュースになった。
「中学生、集団拉致事件!」

プレジャー・ランドの運営会社は会見を開いたが、日曜日の営業終了後に鍵が盗まれたと説明。今回の集団拉致事件と、運営会社は一切無関係だと言い切った。

巷では中学生が自主的にプレジャー・ランドに集まったという話が広まっていた。運営側に責任はなく中学生に集まるよう主導した者がいるという噂や、プレジャー・ランド運営側の話題作りだという噂も広まっていた。中学生が発見された時、ポイポイドーム内の中学生のほとんどが幻覚作用のある薬を飲まされ眠っていた状態であったことが大々的に報じられており、事件性の高い怪事件として色んな憶測や噂が日本中を駆け回った。公共交通機関が動いていたことやチケットの配布など、謎は深まるばかりだったが、真実を知るものは誰一人としていなかった。警察関係者も頭を抱えてはいたが、これといった被害者はいなかったのが幸いだった。むしろ実質的な被害者は、屋内遊園地の破損の損害とドームの現状回復に多額の費用を要求されているプレジャー・ランド運営側のみであったことから調査が進むことはなかった。

事件発覚時にプレジャー・ランド内にいた中学生は皆、順番に事情聴取を受けた。
その日は一旦、全員がドーム内の屋根のある場所に集められて、それぞれが住所や氏名の聴取をされた。ドーム内のバルーンは木っ端微塵に破裂していて、あたりに散り散りになり、ドーム内は水浸しだった。

警官が順番に家族に連絡をとり、両親が迎えに来た家庭から引き渡しが行われた。月曜日はこの重大な事件を受けて、市内の全ての中学校が臨時休校となった。市内にいる中学生のうち、三分の一近くの生徒がプレジャー・ランドにいたということがわかり、さすがの教育委員会も臨時休校にせざるを得なかったということだった。

ノキアも両親が迎えに来て、父の車で家に帰った。朝の6時だった。裕司の車の窓には雨粒がビタビタと打ち付けていた。
両親は怒るというより、喪失感でいっぱいの顔をしていた。恵美に至っては泣いていた。いつまで経っても両親と連絡が取れない家庭もいたようで、その生徒については、学校側がまとめて引き取りを行うということになった。

学校でも家でも、大人たちは何があったのかと子どもたちに問いただした。
しかし皆、一様に「無料のチケットをもらって遊びに行っただけだ」としか答えなかった。大半の中学生はそれ以外答えようがなかったのだ。中で何が起きたかを、ほとんど覚えていなかったからだ。

ノキアや翔太、レンも、最後まで意識がある状態でその場に居合わせた中学生たちも、それしか答えなかった。ピノについては公言できなかったし、あまりにも現実離れしたその光景をどう説明したらいいかもわからなかった。

ノキアと両親はその後、数回話し合いをした。
話し合いというより、両親がノキアに寄り添おうとしてくれているのがノキアにはわかった。ノキアも今の不満や不安を吐露し、両親も自分たちの気持ちを言葉を尽くして話してくれた。全てが解決したわけではなかったけど、ノキアは少しだけモヤが晴れた気持ちになった。

強制的に夜が開けたような、プレジャー・ランドで迎えた朝の日のような感覚だった。

事件後しばらくノキアは部活を休んでいたが、色々と吐き出してしまうと、気負いなく部活に顔を出せるようになった。たまにマイの気晴らしに付き合って、休みの日に近くの公園でみんなとバスケをしたりもした。ノキアの所属するバスケ部の部員にもあの日プレジャー・ランドにいた生徒がいると分かり、悩みを抱えているのは1人ではないことに、ノキアは再び安堵した。いつも自分がひとりぼっちのような気がしていたけれど、みんなそれぞれ言えない想いを抱えているのだと。

ノキアが部活に行き始めても、皐月は部活にも学校にも来なかった。ノキアはあの日のことも尋ねたかったし、色々と皐月のことが気にかかった。

皐月もあの場にいたと言うことは、後から先生に聞いた。あの場で見たのはやはり皐月だったのだろうという確信が、ノキアにはあった。公園であった女の子の手を取っていたら、あの場でピエロになっていたのは自分だったのかもしれないと思うと、背筋が冷えた。悪夢のような夜だったが、ノキアにとっては悪夢だけではなかった。大切な時間だったし、ノキアの心を変えてくれる出来事だった。

学校内の三分の一程度の生徒たちがプレジャー・ランドに居たこともあり、あの事件以降、どの学校でも、各担任が放課後や自習時間を使って参加した生徒へ聞き取り調査を行なっていた。カウンセリング的な意味合いも含んでいた。自ずとどの生徒があの場にいたのかは、生徒たちの耳にも入った。

問題のない生徒もいたけれど、やはりどちらかと言えば、何らかのトラブルを抱えていた生徒が多かった。事情聴取と揶揄された聞き取り調査ではあったが、担任によってはヒアリングを丁寧に行なってくれていて、少しだけトラブルが改善された生徒もいたようだった。

ノキアの担任の田中に関しては、相変わらず一方的に自分の意見を話し続けるばかりで、カウンセリングとしての役割は果たしていなかった。そもそも田中に期待はしていなかったし、ノキアの場合、いつもの日常を取り戻せたのは、両親の積極的な働きかけや新しくできた友人たちのおかげでもあった。

皐月の家を訪ねると、皐月は少しだけ疲れた顔をしてノキアを出迎えた。ノキアはプレジャー・ランドでの出来事を皐月に尋ねてみた。しかし、皐月は何も覚えていないとだけ言った。嘘をついている様子もなく、本当に覚えていなかったようにノキアには思えた。これ以上、プレジャー・ランドの話をしても皐月を困らせるだけだと思ったノキアは、話題を変えた。

「でも、皐月が学校休んでるなんて、全然知らなかったよ」
ノキアは、皐月の母が入れてくれた紅茶をずずっと啜る。皐月がふぅと小さくため息をついた。

「ーーなんだか疲れちゃって。中学生になったらさ、色々あるじゃん。ノキアと距離ができてたのも、正直、私の中で罪悪感があったんだ。でも、ノキアはそんなこと気にしてないみたいに見えたし、私なんかいなくても、ノキアは平気なんだと思ったんだよね。そう考えると寂しくてさ。ノキアも気づいてるかもしれないけど、ノキア、ちょっと浮いてるじゃん。それをみんなわかってて、ノキアは変なやつだからって拒否ってる感じ出してるけど、正直、みんなちょっと羨ましいと思ってると思うんだよね。だって、人の意見に左右されないって、なかなかできないから。でもさ、だからって、私はノキアみたいに振る舞えなくて、陰でみんながノキアの悪口言ってるのを聞いて、同調するのも気分が悪くて。なんか、だんだん、部活も楽しくなくなって。じゃあ、学校が楽しいかって聞かれても、クラスでも同じようにグループとかマウントの取り合いがあるし。もう、なんか何にも楽しくなくて。ほんと疲れてたんだよね。個性のない制服着て、ケラケラ笑っても上辺ばっかりで、私ってピエロじゃんって」

皐月もずずっと紅茶を啜る。暖かくてミルクがたっぷりのミルクティー。ノキアも皐月の言葉を飲み込むようにミルクティーを飲み込んだ。こっくりとした甘い味わいがペットボトルのミルクティとは全然違うと感じた。

「おいしいね」
ノキアの口から吐息と一緒にこぼれ落ちた。
「でしょ。お母さんのミルクティー美味しいんだ」
皐月はテーブルの上のクッキーと一つ取ると「ノキアも食べなよ」と促しながら、クッキーを頬張った。

「ごめんね」
皐月が小さく溢す。口からクッキーのカスがぽろっと溢れた。

「え? 何が?」
「ノキアを一人にしちゃって」
皐月の目からぽろっと涙が溢れた。右目の下のほくろがぷっくりと大きく見えた。ノキアはキュッと口を一つに結ぶ。

ノキアは目頭が熱くなるのを感じた。
「ねえ、バスケしない? 久しぶりに1on1」
「いいねぇ」
皐月は床に転がっていたバスケットボールを手にすると、ノキアにパスをした。

懐かしいゴム製のバスケットボールの匂いが、ノキアの鼻を抜けた。






おしまい








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