2024/10/14 箱男の正体は……お前だーーッッ!!
インターネット箱男の皆さんこんにちは。
アイコンとユーザーネームの箱に篭もり、匿名性を獲得した皆さんごきげんよう。
滑り込みで映画「箱男」を観てきた。
山手線に乗るたびに、この雑踏を10代の自我がやわやわの時期に経験した人とそうでない人が同じ人間だとは言えないよなぁと思う。これは上京して都会に衝撃を受けた(良くも悪くも)人間にしかわからない感慨だなぁとも思う。地方都市の子はわからないとも思う。
ユーロスペースは周りがホテル街で、電柱の下には中身がぶちまけられたカット野菜と、新品のタバコがバラバラに散り、そこへ炭酸水が浸水していた。
渋谷で箱男を見ることができたのはいい体験だと思う。例えば地元のイオンの中とかで観ても何の現実味もない気がする。垢とか、人いきれとか、ゲロとか、そういうのは地元のイオンには無い。完全なフィクションになってしまう。
映画の感想は、終わり方ダサ!? ぐらいで、あとは、別物とはいえ安部公房の名を借りるならもうちょっと主題的なものは拾ったほうが良いんじゃないのかぐらいだった。
箱を脱ぐ前に必死になってシャワーを浴びるも海水で〜というくだりが好きだった(本当は箱なんか脱ぎたくないんじゃないの、変にカッコつけてダセ〜、と思えて好き)けど全カットになっていて笑ってしまった。まぁカットするかぐらいの重要度ではあると思う。
序盤のフェイスペイントは蓄積した垢の表現なのかなと思うと、視覚効果に強い人ってすげ〜! と思う。異様な見た目、見た人がぎょっとして逃げていく感じが綺麗な状態でお出しされている。
安部公房の箱男は、文字だからこそのギミック(表現方法?)があるから好きだったんだなぁと思った。ノートへの言及による信用できない語り手化、完璧な二人称の語り、何も信用できないまま物語が転がり落ちる焦燥感に気味悪い冷や汗が湧き出る。アンチ・小説というとんでもない概念を知るきっかけになった作品で、言葉あるいは言語を完全に統率できていないと書けない小説だと思う。
そうやって、嫌だけど、徐々にこれは自分事だなとじわじわ自覚するのが醍醐味であって、客席を映してしまうのはほんとうに興ざめかも、と思ったりした。
葉子ちゃんのモデルは姫草ユリ子だと勝手に思っているんだけど、本当に白本彩奈さんが奇跡みたいに綺麗な人でひっくり返ってしまった。現実味がないぐらい綺麗に眉をひそめるしぐさなんかは、ユリ子もあぁいう顔をするんだろうな、とまで思った。ああいう魔性じみた人物造形は、素肌と衣服の境界が軽いのだとずっと思っていたことが今回で判明したりした。
もちろん面白かった。もって回った言い回しの会話は小説そのままのテンポ感だったし、露骨な形の貝殻とか病院の立地なんかはそっくりそのままだと感じた。(見たこともないのに)
スマブラになってたあたりなんかは本当に面白かった。先に見た友人から「箱男の廻し蹴りは必見」とだけ言われていたけど、思っていた3倍回っていた。スト6流行ってるし、いいと思う。
「君、裸になって見してあげたら?」のあたりはある意味ファンサービスだなとも思ってありがたかった。
安部公房の「壁」の中の短編集も、見る見られる、帰属するしない、匿名性と透明性、みたいな一貫性があると思うんだけど、観客席が映ってしまうと帰属と匿名性のテーマがゴチャつくんじゃないかなと感じたのかも。
田舎のイオンと渋谷のホテル街じゃ帰属意識も匿名性も全く別物になるよなぁと思う。人間の肌感覚に相違が出るのってやっぱり環境だと思うな。
映画化って本当に大変なことなんだと思う。何も知らないけど。色々なところと話し合って、いくつも判子が必要で、配慮とか思惑があって、人間関係があって、お金の工夫が必要で……。
気が遠くなる。友人が映画を撮っていたことがあるけど、映画を撮れるのは最高だと思う。人と膝を突き合わせて話し込む才能がないと無理だなぁと思う。
小説はその点、書く時に殴り合うのは自分なので気が楽だなぁと思う。(個人の感想です。感慨には個人差があります)
だからこうやって、架空の名前で架空の顔でノートを書いている私は、現代の箱男、なのかも、しれませんね……。
(♪世にも奇妙な物語のエンディングが流れる)
まとまらないからうまくオチをつけようとするのは箱男らしくないんじゃないですか? まったくその通りでございますね。
これは批評文なんて高尚なものではなくて、ただの日記です。箱男の日記。
ということで皆さまも匿名性を脱するために、スキ!を押してみてはいかがでしょうか。
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