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続々・《花の御所始末》感想 義嗣

感想は義教/満家と入江/北野の二編で終わらせていっか~(男女のバランスもいいし~)と思ってたんですけどやっぱり兄者・義嗣のことも書きますねぇ!!?


三月大歌舞伎で最も初めにお客の前に姿を現す坂東亀蔵丈・足利義嗣。
も~、この最ッ初の出の幾分緊張が窺えるお顔とその後の笛を吹かれながらお出になるお顔を真向い気味に見たくて東桟敷に幾度か座りましたよ!!(逆向きの、苛つきながらハケてゆかれるお顔や土牢で義教に懇願するお顔も見たくて西桟敷にも座りましたが……!)


すっきりと凛々しい、高潔なお役が非常に似合う亀蔵丈でありますが、今回のようなお役は珍しい部類ではないでしょうか。

武士ではあるけど、母から愛されていないという不満足を拗らせながら成長して、母の気を引きたいばっかりに悪さを重ねるうちにどんどんエスカレートしていって蟄居まで命じられてしまう、哀れなバカちゃんである。

(最初引っかかったのは義嗣の、「二歳違いで弟のお前が生まれてから母上はおれに冷たくなった」という旨のセリフで、二歳児がそんな克明な違いを判断できるもんか!? と思ったのだった。まぁ、幼児とはいえ違いを感じることはあるだろうし、長じて理性が発達するにつれ、少し昔の記憶を振り返り、「つまり弟が生まれてからだ(/生まれた所為だ)」と結論づけて心に刻むに至るのもわかる。
構ってくれることが減ったのは、(乳母や下女がたくさん居たって)赤んぼが居れば何処の家庭でも「そりゃそうだろう」な状況だけれど、
そのあるあるパターンを悲劇へと悪化させたのが、母・廉子の、本夫と違って可愛い間夫の血を分けた義教への母の贔屓心と、不貞を働いた夫と その間にもうけた長子への引け目からのよそよそしさによるところが有るのだろう。
そうしたちょっとした甘え難さを幼子義嗣が鋭敏に感じ取って「母に好かれていない」という意識を固めていき、また母も義嗣の反感のリフレクトで「この子に好かれていない」と感じ、その鏡合わせで否定感情が増大してゆく悪循環に陥ったものなんだろうな、と寂しく思った。)

なお、母廉子が、義嗣に対するのと違って末子の娘・入江には悪感情が無く、心から可愛がっているようなので、【子ども三人中の下二人が満家の子なのか……?(そしたらこっちも左馬之助とで畜生道になってしまうのだが……)】と危惧したのだが どうやら不義の子は義教だけらしい。(ホッ)
入江は女の子だから育て方も違ったんでしょうね、本人の個性もあるし……。


義嗣の、「父上に会わせてくれ」の切実な願いは、"会いさえすれば分かってもらえる" という希望に裏打ちされていよう。母との交感は断たれていても、父との交感は在ることが、廃嫡する姿勢を見せず、また個人の資質としての笛の腕を愛でる義満の言葉に現れている。義満自身も「戦に明け暮れ」ていたとは云え、文化に心を寄せる風流人であったので、笛の名手である長男を評価していたと思われる。つまり義嗣は父との絆は持ち得ていた。そこだけがまだ救いである。

あるのだが。


この物語では、父義満は、愛妾との逢瀬を火急の軍議より優先してしまう、だらしのない凡夫として描かれていて、その凡人の血脈は嫡男義嗣にも引かれている。

己を律せず、家臣を害し、目上の実母に暴言を振るい、近習には苛々と当たり散らし、弟妹にはめそめそと助力を願い、命の危機が迫ればみっともなく渾身の命乞いをする。(あの場においてさえ、弟に同行してきた満家に助命を期待する "頭の悪さ" からこの人の器の底が見える)
武家の頭領に到底ふさわしくない人品である。そして、おそらく義嗣自身、それをよく分かっている。


この人はさっさと剃髪して俗世を離れて継承ルートから外れてしまえばよかったのではないか。どこか静かな土地に棲まって、心から愛し愛される人と出会って、笛を吹いて生きられればよかったのだ。
父満義の愛情から発する、いつか立ち直って将軍世継に相応しい人物になるだろうという願望的期待からの不廃嫡の選択と、ドロップアウトすることで母廉子からの注目の機会をいよいよ失ってしまいたくなかった義嗣のコンプレックスによる不出家の選択が、結果、彼の "首を絞める" ことになったのだ。
云うなれば、父義満との繋がりが。



(………打ってたらじょわんと涙が浮かんでしまった……… あにじゃ……。 自分の乗りこなし方を終生知れなかった おかわいそうな兄上………。)


絞めるといえば、三月の最初の頃、義嗣の手から離れて転がった笛を、かがんで拾った義教が埃を拭うようにゆっくり撫でさすっているのを見て "あぁ、キレイにしてあげてる" と思ったのだがその直後「違ったーーー!!!! 笛の強度を確認してただけだーーーーーっっ!!!!!!」て分かってすげえヨカッタです。芝居として。ちくしょう。


なので義嗣は終始ピシッとしない、頼りない人物像が求められる。一幕一場の初登場時点で既にシケがはらりと垂れただらしない頭髪からも、そういうキャラクターの設定がわかる。
神経質にカリカリとしたメンタル面の不安定さ(※入江に「そのようなご様子では、父上にお会わせ申しませんよ」と餌を提示され、子どものように簡単に食いついて言いくるめられるところからも、実際少し気鬱性の病を起こしているのかもしれない)、義教と違って若武者らしい身体が出来てないフィジカル面の不安定さを、亀蔵丈はよくお出しになってたと思います。
やや猫背で、どこかふらふらとして重心が安定せず、足取りも覚束ない。(※この足の弱さは、金閣の場でいよいよ強くなり、蟄居と入牢を経て運動の機会が極端に減ったであろう義嗣の足が萎えていたことを窺わせる。映画《RRR》で捕囚となったラーマが鍛錬してたのはこうなるのを防ぐためだったんだよなぁあ……!と思いました)


亀蔵丈にしては珍しい性格をお演りだと思ったけれど、そういうお役をも堅実に、セリフや挙動の隅々にまでキャラクターを充填させるようにしっかりと演じることがお出来になる、亀蔵丈の力量が静かに発揮された舞台でした。
あと、変わらぬお声の良さ……。どんなにみっともなくなったって、澄んだ声質に根幹の気品が漂うんすよ……。

朝イチで歌舞伎座に駆け付ければ亀蔵丈が即座に拝見できる、しあわせな一ト月を過ごさせていただきました………。ありがとうございました………。



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