藝大美術館《渡辺省亭展》前期 感想

あの~~~~、あのですね、省亭ファンの方がムッとなさるかもしれない点で云いづらいんですけどね、

【……………………渡辺省亭、三次元配置が下手だな…?】

いや「下手」というのは相応しくないだろうな~~、絵の中で三次元配置が変なことになってるのには「気付いてない」と「気にしてない」と「変なのはわかってるけどそれより優先すべきことがあるからうっちゃってる」と「わかってるし直したいけど技量が伴わなくてできない」くらいは理由があると思うんだけど、たぶん…たぶん「気にしてない」あたりだと思うんですよね省亭…
個別の描写はすばらしく巧いのに、個々の立体感は見事にリアルなのに、組み合わせる際の視点の調整がなされてなくて、引きで見ると「ん?」て違和感が立ち上がる…

西洋絵画においてはルソーなんかの “遠近法がめためた” な描き方が手酷く貶されたけども、日本美術においてはあんまりそのへんが意識(≒重要視)されてこなかったわけで、だから省亭ひとりがそうなってるわけでもそれを理由に「下手」って評するのは妥当じゃあるまいとも思うんだけど、それにしても あ ま り に も 気 に し て ね え な … !!!

明確に「ぉ~~~ん???」てなったのは《石山寺》の左の格子でさ… 升目がぜんぶコピペしたみたい ↓ に同じやねん… 角度の変化による幅の違いがゼロやねん… (※図は「こういう感じですよ」とわたしがイラストレーターの四角形で描いた参考資料です)

石山寺

この《石山寺》(床や庇の角度も合ってない気がする…) に限らず、なんちゅーの、アイレベル?ですか? 対象の距離と角度を統一してないで描いた精密なスケッチを、視点ばらばらのまま組み合わせたような図なんすよね…

生物画としては精緻極まりない《葡萄に鼠図》も、奥の果物駕籠と糸巻きの四辺形が合ってないなー…と、セザンヌの卓上画を見てる気分になってくる (※そういえば “わざと綿密に描くことをせずに瀟洒な軽みを出す”っていう「抜け感」の出し方はキャンバスの地色を平気で見せるセザンヌの風景画に通じるもんがないだろうか? と思ったんだけどこれは飛躍のしすぎでしょうね)

(あと、この「軽み」「抜け感」って竹内栖鳳の動物の描き方に似てね? と思ったんだけど生年としては栖鳳のほうが後なんですね… ほぇ~)

で、描写力の確かさから「描けない」んではなかろう、西洋画に触れてもいるから「気付いてない」わけでもないはずで、となると「(そこまで)気にしてない」が大きいんだろうと判断するんですけど、加えて「(実際目で見える合理性よりも)デザイン上のきれいさのほうを優先する」考えだろうと思われるんですよね。

冒頭の《目白図》(だったと思う、小禽がむちゅむちゅっと5羽ほど小枝に留まってる図)で、足元の枝の曲がりに則せば真ん中の小鳥の位置が上下に突出するはずなのに、鳥のかたまりは滑らかに連なってまろやかな集団になっており、葉っぱでうまく処理されているけれどその裏っかわを考えたら真ん中の小鳥なんか脚ピーーンで突っ張ってることになるんだよな。そういう不自然さよりも、「だって枝はジグザグしてたほうがかっこいいし群れはまるっこいほうが柔和でイイじゃーん」て “絵としての良さ” を選んでると思うんす。
そういう、”描く上で何を優先しているのか” が窺える(気がする)一貫性が画業を通じて観られたのは面白かった。特に西洋画に接した日本の絵師って絵柄や優先度が変わる傾向がある(と思う)んだけど、省亭は(あんまり)変わらなかったのだなぁ。つよい人だなぁ
(画壇に加わらずに市井の画家として生きた、っていうのも「つよい」なぁと思った。そっちのほうが収入が多い、とか実利的な判断も無くないと思うけどねー)

それから上階の展示方法はほんとうに良かったですね。人の流れの自由度が高いし、観やすい。空間デザインとしてもきれい。素晴らしいと思う。

後期も楽しみにしてますー。

(三次元でうだうだ云ってるのは、反対に “空間の奥行きを三次元で意識してるし実際描けてる” 数少ない絵師がすごく好き…というわたくしの好みに起因します)(狩野尚信が好きです…)

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