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七月松竹座《すし屋》の感想:誠実で非力な維盛卿(萬壽丈)

大阪松竹座七月大歌舞伎の16日と17日の回を3階から観ました。
萬壽丈の維盛/弥助は前にも(しっかり)観ていたのですけども、今回あまりにも清新な人物像を見せられた思いがして、以下に書きます。

◆弥助の誠実さ

・好ましい婿候補ぶり

まず萬壽丈の弥助(維盛)のすごいのは、空の鮨桶担いでヨロヨロひぃふぅ帰ってくるのがホントにかわいくって頼りないところ…… どうして……歌舞伎役者は年齢に関係ない可愛さを放つことができるんだ……

奥から出てきた梅花丈のお米に対する慇懃さも、嘘くささも無く卑屈さも無く、すんなり自然体で居ながら分を守ったように大人しく、これは……背景を何も知らんでも娘の婿にとりたくなるわ……という好青年ぽさがすごい。
壱太郎丈お里とのままごとめいた遣り取りでも、祝言のことを言われてギクリと身を竦める瞬間は有っても、その後のシミュレーションはお里に付き合ってやっているというより、ははぁなるほど、そうですかこうですか、と素直に受けとめて練習している真面目さ・誠実さ(と可笑しみ)が見えて好感度がすごい。この弥助ならじきに鮨だって見様見真似でうまく漬けますよ。

・色を見せない高潔さ

以前の《すし屋》では、それぞれ辺りを見回って中央でぶつかってハッ……と目を見交わして睦まじく寄り添う二人に、『コレ歌舞伎の様式でこうなってるけど実際はチューしとるくらいの意味なんだろうな』と思って観てた場面も、今回は、実際に寄り添うだけでこの二人には(特にお里には)十二分に幸福なのだと思われた。弥助にとっても、この家の娘と寄り添ってやることは、猫を膝に乗せて撫でてやるのも同然の親愛表出で、抵抗や後ろめたさといった陰りは見えないようだった。

そう、今回の弥助/維盛には、色めいた後ろ暗さを感じなかったのだ。

「これまでこそ仮の情け」「義理にこれまで契りし」のセリフを、今までは、殊に梅枝丈お里ちゃんの際は『寝てたんだろうな……』という想像が容易に(ばいしさんの醸すアダルティーな雰囲気のために)ついて、そのように捉えていたのだけれど、今回は萬壽丈の弥助/維盛に対して『このひとが家つきの一人娘を軽々に抱くわけない』って感じが強くて、もしも設定上で同衾してたとしたら【解釈違いです!!】って叫んで木戸をバタンと閉める勢いっすわ

ここでの「情け」や「契り」は、男女の交わりではなくて、恋心を向けられて、それを受けとめるフリをしたことや、いずれ夫婦になろうと承知してみせた約束のことを言うのではなかろうか? と初めて思わせられたのです、  
萬壽丈のなさる弥助/維盛に

「ゆくゆくは娘の婿として」「夫婦約束をしてくだしゃんせ」って親子それぞれに(違う思惑で)願われて、己の未来の不透明さゆえに、はっきり拒否する気力も無く、ただ先延ばしするつもりでその都度ズルズルと同意してきたのではないだろうか
そして体の関係は持っていないお里に対して、ただ口約束で「契った」ことを、果たす気の無い夢物語で娘盛りを潰すことが申し訳なく、ずっとじわじわ気に病んできたひとなのではなかろうか

先に寝入ったお里の傍でぽつぽつと吐露するあのセリフが、けっして土壇場で翻した言い訳でなく、無論それまで “つまんで” おいての言い逃れでもなく、ちゃんと一本芯の通った、けどヤワな、優しい真面目な男性の申し開きになって聞こえた。

そのあとお里から離れて横になる際に、今まで “上掛けが無いから袖を代わりに体に乗せてる” と思っていた左腕の掻い込みが、『あぁ上座に座るときの左腕のかたちと同じなんだ!』って思い至ったのも初めてだった。
あの仕草は維盛卿の、振る舞い正しい貴人の心になっていることを示すんだ……(泣)

◆維盛の非力さ

・零落した貴公子ぶり

今まで気づかなかった、というかどうして気にせずに居られたんだろうと思うくらいに見方が変わったシーンのひとつが、妻の若葉の内侍に「袖の無いお羽織に…」「おつむりは…」って言及されて、恥ずかしそうに羽織を脱いでる最中に、息子の六代が立ち上がって背に回り、父親の両肩に手をかけて甘えるような仕草をするところ。
あれは!!甘えているというよりも!
父の!初めて目にした剃られた頭頂を物珍しく覗き込んでいたのだね!!!!
最初微笑みを向けた維盛もそのことに気づいてハッと顔色を変えて哀しく頭を隠すのだ!!!!
つら~~~い…… 共感性羞恥が刺さって居たたまれなぁ~~~い……

見方が変わったといえば。
この上は、と自害する気で息子の腰刀を取り上げて抜き払おうとした鞘を妻に押さえられ、落ち延びるよう説かれるところ。あぁ、マジなんだなぁ……って思ったですよ。歌舞伎のお約束の、死にます、やめろ、の型としてでなく、【このひとは本気で刀を抜こうとしてるのに女性の力で押しとどめられてしまうほど非力なのだ】という描写として、このシーンが急に見えたですよ。《すし屋》冒頭の、ほのぼのコメディパートと見えていた空桶を巡る遣り取りが、此処へきてこんな立ち上がり方をするだなんて思わなかった。

そうだよ、政治的に非力なだけじゃなくて筋力的にも非力なんだったよこの人は。この成人男性は。武士として潔く腹を切る覚悟ができるほど分別があって大人なのに、それを成し遂げるだけの力を持ち合わせてはいないのだ。仮に刀を抜けたとしても、布と皮とを突き破って己が臓腑へ達せられるほど刃を押し込めるかどうかすら疑わしい。

それほど非力で無力な維盛が、でも一家で隠れ家へ逃げ延びようってするときに、唯一の武器を自分で持って、愛しい大事な息子の手をもう片方の手で握るんですよ。この父がお前を守る、家族を守るぞという意気込みで。こんなにヒョロヒョロで弱っちいのに!!!覚悟は立派な家長なんすよ!!!

どうしたらいいの……… どうしたらこの優しい無力な貴人を恐ろしい戦乱から遠ざけてあげられるの………(泣)

再登場した終盤で、「なに頼朝が着替とや」から頼朝の陣羽織に目を光らせて、「衣を裂いて一門の、恨みを晴らさん、思い知れ」までの萬壽丈維盛の強張った顔にはぶるぶる震えるほどの怒りと憎しみが渦巻いて、非力な手に……たとえ生身の頼朝が目の前に居たとしてもその肉を切り裂くことは出来かねそうな手に、息子の小さな刀を満身の敵意を込めて握りしめて……
結局彼が切れたのは縫目の糸と己の髻のみ…… でもそれで良かったのかもしれないね…… 肉を貫く感触なんて一生知らずにいられたほうが……

そうしてこの維盛は、自分が無力であることもよぅぅく分かっていて、自分が今露命を繋いでいられるのも自分自身の力や功徳なんかでなくて、すべてが父の偉大さのおかげだと知っていて、父の威光に救われる息子としての自分を見つめるたびに、己は息子に何もしてやれない父であることを実感している苦悩を感じるの……
つらい……… 生きてるだけで辛いよ維盛卿………

・情の発露と不器用さ

劇中で「義理にこれまで契りしぞ」を上回る維盛の好感度爆下げゼリフが、
亡き小金吾に対する、「生きて尽くせし忠義は薄く、死して身替る忠勤厚し」だと思う。
今まで『あ"ぁ!!?』『んだとゴラァ!!!?』『てめえ小金吾の墓前でもっぺん同じこと言ってみろコノヤロウ!!!』って何べんでもフレッシュに激昂を覚えてきたセリフだけれど、今回初めて、ここまで萬壽丈の維盛をみてきたためにスッと逆の意味で聞こえて、そのことが我ながら意外だったし、でもそう思った途端にしっくり来た。

維盛は小金吾の働きに対して過小評価なんかちっともしていない。どれだけのことをしてくれたか重々分かっていて、感謝もしていて、けれど彼が死してなお身代わり首を務めてくれたおかげで自分と家族が助かった、その重大さを考えたら尚々感謝が追い付かない、文字通り身を呈した全身全霊の忠節を称えるために修辞上比較を持ち出した── そういうふうにとれた。

さらに言えば、誰憚ることなく本心から謝辞を述べられる場においてさえ、誤解を生むような言葉を放ってしまう不器用さ、世渡り下手さが、萬壽丈の維盛らしく思われた。


人間的にはすごくすてきで、でもこの境遇の男性として、夫として父としては全くぜんぜんダメだった、維盛というひと。平家の世の中が長く続いて、或いは平家と関係の薄い貴族の家に生まれていたら、穏やかに尊敬を集めて生きられたかもしれないひと。

深く楔を打ち込まれましたよ、七月松竹座の萬壽丈の維盛卿……。
誠にありがとうございました……。


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