《桜姫東文章》上の巻 感想:③権助

悪党権助の、”こいつはやべぇやつだ”ってキャラを一発で観客に示す、非常にうまい、それゆえめちゃくちゃ胸が悪い名シーンにつきまして。

権助初登場の、艶書とカネの話をする権助と悪五郎たちのやりとりを立ち聞いてしまった姫側の女性を、白い手拭いぱっと抜き、ちらとの躊躇も見せずにくいっと縊りころしてしまう場面。人ひとりを、ほんとうに呆気なく。道端の他人の畑から引き抜いた大根でもぼきっとへし折って放り捨てるみたいに。
思うに彼のじつに怖いところは、この異様な迷いの無さでも手慣れた所作でもなく、たったいま人の命を奪うのに用いたその手拭いを、次の場面のお姫たちの前で、無造作に己の額へ巻くんですね。己が手であやめた人間の、喉の皮膚に喰い込んでぎぅぎぅ擦れたはずの白手拭いを、何らの引け目も責めも感じずに自分の顔へ当てられる。この無神経さとまったくの鉄面皮。
観てるこっちがぞわぞわするのに、姿のいい本人は涼しい顔で芝居がかって言いつのり、姫や腰元の笑いまで誘ってしまう。居並ぶ女性たちの華やかな温度。ひきかえ、寺の裏手の塀の陰だかで冷たくなって転がされている一人の女性。そのグロテスクな落差を知っているのはこの場で権助と我々だけで、しかも権助はそんなことてんで気にかけちゃいない(もしかしたら女性を手に掛けたことなどほとんど忘れている)。だからひたすら観客だけが、唯一の目撃者として息を詰めることになる。うすら寒い違和感を抱えて、桜姫が陶然として権助へ身を差し出すのを「ヤバいヤバいダメだよそいつ、ダメダメダメ関わっちゃダメ」て手に脂汗握り込む思いで、紫の霞がたちこめるような濃厚な絡みを観なくてはならない。今すぐやめてくれ、ともっと見せてくれ、の両極端な思いにただ歯噛みして思考停止してしまう。あーー怖い。あーー凄い。

この白手拭いをぱっと相手の肩口から首に輪状へ回すかたちが、この物語の人間関係の象徴のようだなと、あとで思った。
清玄は桜姫に、桜姫は権助に、権助は桜姫に。命すらも奪いかねない構えで、けっして逃がさぬとがっちり軛をかけながら、己の手でじかに触れてはいない。己の見たい姿を相手に重ねて見ているだけで、実際の人となりを、心情を、魂を、しかと確かめて知ろうとしない。握り込んだ布の厚みの向こうに輪郭と動きを捕らえるばかりで。ひたと執着しながらも、いずれもが姿と役に囚われるばかりで。
互いに白手拭いを回し合って、目の眩む暗闇のなかに立っている。

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