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《鼠小僧次郎吉》感想②:話の種類が思ってたんとちゃう

 今回は物語についてです
 ので、ネタバレごんごん入ります ご注意ください

 伊集院氏のラジオでも言及されてたけど、
「金持ちから盗んだ金を貧しい者に分配する義賊」ていう、ヒーローを描く話だとわたしも思ってたんですよね《鼠小僧》。

 序盤、悪だくみに嵌められて窮地に陥った若い恋人たちの前に颯爽と現れて鮮やかに金を盗み出して渡してやるちょっと年嵩の稲葉幸蔵(←菊之助丈)は、口跡も良くて気さくな兄ぃでちょっとお茶目で庶民的、見目よし才ありの優しきスーパーマンで、ははぁ彼の活躍を見せるスカッと系のエンタメかぁ、と合点した気で居たのだが、
 直後、独り語りを辻番のおやじに聞かれるとこ(ちょっとォォしっかりしてェ!?)からどうも雲行きが怪しくなる。ここは菊五郎丈風の軽快な遣り取りも楽しいのでそこまで不安にはならぬのだが、続く幸蔵自邸で、その暗雲が色濃くなる。
 初めの晩とは別の日、雪の降る中、灰色の毛のぶさぶさした狐衣装のような道行に身を包んで学者ふうの色男が傘を差して歩いてくる(傘にも爪皮にも雪綿が貼り付けられてて芸が細かい…)。このあったかそうな道行の着込みようで、道連れになる魚籠を腰につけた貧しい身なりの男の子の、むきだしの足の寒々しさがいっそう際立つ。
 彼から、ねえちゃんの彼氏に金をくれた盗人を探してくれ、と頼まれて幸蔵は、先日出会った若人たちと目の前の少年との繋がりを知る。(余談ですがこのへん《銀河鉄道の夜》の冒頭の甲斐甲斐しいジョバンニを思い出して観てました)
 恵んだ金のしるしによって出所が露見し恋人たちに盗人の嫌疑がかかっていて、賊を留め損ねたとあっては忠が立たぬから殺してくれと頼まれて当身打って逃げた辻番のおやじも賊の手引きをしたのだろうと捕まっている。助けたつもりの若人も収めたつもりの老人もどちらも掬うどころか窮地に立たせている、と知って内心愕然となる。どうすんのどうすんの。
 とそこへ、自分の預かり知らぬところで育ての親がまた悪事を企んでいるらしい、と知れてさらにドヨドヨと暗雲立ち込め、このひとはこのひとで家庭に頭の痛い事情を抱えておいでなんだわね、と「スーパーヒーロー」像にますます下方修正が入ってくる。
 養い親の悪婆登場で、《夏祭》と台詞回しまでそっくりな、業突く張りの年寄りと悩める義息の諍いが展開され、勢い余った切り付けから殺傷にまで及んでしまい主人公の手が後ろに回る気配にアーーッとなり、
 オイオイ待てこれぜんぜんヒーローの話じゃねえぞ、どうなっとんじゃ、何を見せられるんじゃ、と内心どよめいてると、
 自首して出ようと決めた幸蔵の前に、遠方で別れた(捨てて来た?)鳥目の女房が袖萩さん状態で現れて、雪の宿りに借りた軒が、探し求めた亭主の家とは露知らず、戸口越しに言葉を交わす。幸蔵のほうは女房と気づいて切なげに心揺れるのだが出頭しようと決めた今、係累と分かっては手が及ぶ。そのため他人のふりで突っぱねるものの、声音に懐かしさを感じ取った彼女は結局戻ってきてしまい、夜明けで視力も復活し、愛しい夫と対面する。しかしこの女房さえも振り捨てて彼は奉行所へ行くことになる。

 なんかもう彼の関わった人間が残らず前より悪くなってるような有様である。なんなんだよ~フィルムノワールかよ~~鬱だよつらいよ~~。

 お裁きの場でようよう待ちかねた彦丈のお出ましである。首のあたりだけ薄く白粉を塗った肌に、善人でありハンサムである(幸蔵ほどの色男ではないけれど)っていう区別が感じられる。
(※このポジションと声の感じが…思い出すだに【榎木孝明だ…】って思えちゃって昨日からずっとジワってる)
 このお奉行は、謂れなき疑いを受けた者たちを救うために潔く名乗り出た鼠小僧の心根に感心して人間性を評価しているのだが、入れ替わった悪奉行がいけない。
 幸蔵はきりきりと縄を打たれ、悪者奉行の(寛大な彦丈奉行と代わりばんこになるのがかわいい)嗜虐的で居丈高な態度にムカッときて、こんなもんでおれを縛ったとお思いか、と縄抜けの術を繰り出して(Mr. アンチェイン……ユパさまといい恰好いい男はどうして軛を易々解くのだ)、そこから逃げの大立ち廻りよ。コレよコレよ、待ってましたッ!!
 捕り手を全員投げうって(それまで比較的物静かな、心情芝居がメインであったのでここの立ち廻りが本当に楽しく、心から「待ァってましたァッ!!」て感じである)、荒い息でぽつねんと佇む彼は、"どうせ捕まるものならば、あのお奉行の手に掛かりたい" みたいなことを言うんですね、本心から(ぐぅっ……!!)。
 しかし一度逃げた手前、行方をくらまそうとしたところを手蜀を掲げた善いほうのお奉行に見つかって、年貢の納め時と覚悟を決めるも、「逃げおおせたか」と朗々と一人ごちる声が耳朶に届き、彼ははっしと手を合わせてお奉行の厚恩を深く拝むと、身を翻して雪道の闇へ走り去る。その後ろ姿を遠目に見遣る彦丈奉行。
 で、幕である。

(ブロマンスじゃん!!!!!!最後にきて!!!でっかいおみやげ貰っちゃったわ!!!!!!! と内面で頭を両手で抱えながら粛々と良席から離れました……)

 というわけで、

 完全無欠の超人が難問辛苦を易々と切り払う爽快エンタメと思いきや、
 盗みの腕は一流でなかなか美点の多い(頭も良いんでしょうね易者できるくらいだから)青年なれど、
 複雑な家庭環境が影を落としたり、他者への優しさが半端な甘さになってしまって結果周りの人の首を絞めたりと、悩める等身大の若者でもあり、
 菊丈の表現を借りれば、「"スーパーヒーロー" を描くんではなくて、"盗み" という業を持った青年をストーリーの主人公にして」いて、

 つまり "たまたま盗みという特技が個性として有る、しかし我々と大きく違いは無い普通の人間" の物語で、ええと、何だこれ、《スーパーマン》じゃなくて《スパイダーマン》か?(※すみません🕷映画どれも観てません)

 スカァッと楽しいのは冒頭の鮮やかな(菊丈の身体能力を堪能できる)盗人働きの前後と最後の縄抜けからの立ち廻りに集中していて、ほかは割合に重め暗めの物語であり、盗みで右から左へ金を移すだけでは問題が寸時先送りになるだけで根本的解決になってないし余計に事態が悪化するばっかりで、次々浮上直面する問題に苦悩しつつ最善の対応を模索し続けるひとりの若者の軌跡を追う、というなんだか犯罪絡みの現代邦画みたいなゴリッとした手ごたえのある演目でありました

 これも菊丈のご発言なのですが、業を負った青年が、物語の中で様々な、己と縁のある人々と出会って、「自分の業と向き合って、業をみつめなおしていく」話なのですね。

 それを聞いて、あれに似てるな、と連想したのが、仏教説話の善財童子。
 ええとコトバンクから引けば、

ある長者の子である童子が発心して、"愛着に執われ、疑いで智慧の目が曇り、苦しみ、煩悩の海に沈殿している私の目を覚ましてほしい" と文殊菩薩に願い、示されるままに55か所・53人を歴訪して教えを受ける。訪ね先には様々な年齢や職業の人々が居り、女性も居る。童子は彼らから先入観なしに謙虚に教えを受け、最後に菩薩に会って真実の智慧を体得する……

 という、精神的なロードムービーですな。
 いま内容をまとめてたらいよいよ「これじゃん」という気になってきたわよ… 菊丈も禅の用語「喜心」「老心」「大心」引いて説明してらしたしさ…

 ので、思ってたエンタメ色とはだいぶ異なる味わいでしたが、そのぶんお芝居を間近で噛み締められてよろしゅうございました……… 立ち廻りはとにかくカタルシスがすごかったしさ………(立ち廻りだ~~いすき!!)


 次回は個々の人物に触れてゆきたいですね。②おわる。

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