『狐花』読後感想:歌舞伎版と比べて
とうとう読みました~~~。こちらは歌舞伎版の「原作」というよりも、「小説版」と呼びたく思いますので、以下もそのように書いています。
【小説版の雑感】
● 接触の少ない “歌舞伎らしさ”
小説では冒頭、曼殊沙華の原で、中禪寺洲齋が萩之介の腕を掴んでいる時間が長い。歌舞伎版ではグッと短い。これは、役者同士の直接の接触をあんまり行わない歌舞伎様式が影響してるように思った。歌舞伎で本当に接触すると(※立廻りとか濡れ事とかで)、ふだんボカしているぶん、生々しさのパワーが強いのである。そのへんを歌舞伎版は調節してるんだなー。歌舞伎版が先だったため、「洲齋、テコでも弟の腕離さへんやん……」と思いながら読みました
● 萩之介の実態不詳感
小説版では章立てが曼殊沙華の別名で統一されていて、その章の舞台やそこで語られる萩之介の人物像に合った別名が用いられてるわけだが、その最初のほう、「墓花」のとこで、そうか、と思って、グッとキた。
異名を多く持つ曼殊沙華のように、萩之介という男もまた、恐ろしかったり、妖艶だったりと、ミステリアスな多面性を見せ、実態を霞ませる。逆にいえば、それはどの場面にも、どの環境にも、ひたりと添うて溶け込んでしまえる萩之介の特性なのではないか。放下師の元では軽業を覚え、男娼に売られれば媚態を身につける。武家屋敷に入り込めば誰の目にも奥女中として信頼されるに足る振舞いをこなす。それは幼き頃には生きるための必死の努力の成果であったろうし、長じてからは恨みを返す決死の執念ゆえであろうが、そのカメレオンのような適応達者さの奥には、彼が己の自由な個性や好みや主張を外に向けて発することの出来なかった不遇な半生が見える気がする。子どもらしい我儘や甘えの発露を許される環境ではなかった。常に大人の顔色を窺い、最短時間で場にそぐうよう機敏に当意即妙に生きてきた、その結果培った特性なのではないか。……は、萩之介~~~~……(泣)
(ちなみに歌舞伎版だと「陰間茶屋」って濁された(?)箇所が小説版だと「男娼として売られた」って明言されてるのね (歌舞伎版は、口頭で「だんしょう」だと分かりにくくて替えたんでしょうね))
●装丁のボディーブロー
紙の本だと読んでる間じゅうずっと表裏の表紙を手にしてるわけで、そのため視界の端で表紙のフチのとこが見え続けてるわけですが、ここに表裏とも曼殊沙華が赤く浮き出すように描かれている。表表紙のほうはぺっとりと瑞々しい赤で、裏表紙のほうはデカルコマニーをやった後のように、赤い絵具が幾分剥がれて地の黒が透けている。その違いが、【物語が始まるときは生きている萩之介が、終わるときには既に彼岸の者になっている】……という構成と重なるのだなと、読んでる途中で思いついて、そのあとずっと辛かった……😭
●人を操る謎の美青年
これは余談なんですが、この神出鬼没でミステリアスな美青年にして男女の双子の恐るべき片割れ、『MONSTER』のヨハンみたいだって初めて思いました。……テンマか、洲齋は……。
【小説版ここイイネ!!!!】
・萩之介が多少は腕が立つ……
・萩之介が匕首を懐中に持ってる……
・萩之介が瀕死でもヒラリと塀の上へ飛んでてカッコイイ……
・”萩之介殺し” の様子と手順が詳しく分かって良かった スッキリした
・男遊びが派手だとか役者買いとか言われてるお実祢の色事興味が父親譲りなのだなぁ(えげつねぇほどの女好きなんだなぁ辰巳屋棠蔵……芥川の《桃太郎》の猿みてぇにおぞましい…… 武家出のお実祢の母御もアレかな、没落した武家娘の美女をカネで買った的な関係だったのかな…… このへんを歌舞伎版で取り上げなかったのは監物の異常性を見せるためでしょうかね)
・一人称や口調でお実祢の蓮っ葉なキャラが立ってましたね
・番頭儀助のためにお供え物の費用をコッソリとっといて積み立ててくれてるお竹さんの心遣い(※どこにも繋がらない純粋なイイ話)←なんで書いたんすか先生??
・お登紀の “たいした娘” っぷりが清々しいほど徹底してて、萩之介が現れなかったらお登紀を気に入った的場と結婚して悪人夫婦を結成するルートあるんちゃうかって期待しました
・お登紀が聞き耳を立ててからの、ひとけの無い、不自然にガランとした近江屋の奥座敷の想像光景が怖かった
・座敷牢の設備とサービス(厠と湯浴みと照明と食事)が詳しく知れて良かった(→ 美冬さんの想像監禁状況の具体度が増した……猿轡して縛られてたのも最初のほうだけだったらしいし……もっと劣悪なぐちゃぐちゃを想像してました……)
・中禪寺洲齋への依頼報酬の存在と金額が書かれていて良かった。歌舞伎版では、出張してきたのにお金貰ってんのかな、このあと引っ込んでから別の小部屋で菊村さんから受け取るのかな、それとも最初に貰ったのかな……ってタダ働きを心配してたので
【小説読んでも解決せんかったーー】
・お葉が老中と縁続きってぇ身元証明の件はどうしたの……どうなってんのソコ、ねぇ、調べたんやろ的場、おう
・結局萩之介は的場をどう始末する気だったの…… そろそろ兄者の膝元から離脱しようとするだろうって読んでたとでも……?
【小説版ここはどうかな】
・(冒頭、光の差さぬ昏黒の天空の下の赤は黒色に見えるのでは……)
・歌舞伎版を意識されてるためか、萩之介を除いて、人物の外見描写が殆ど無い(的場の年齢もよく分からん)ので想像が落ち着かない
【歌舞伎版ここはどうかな】
・冒頭の「文 [fumi]」の言及はもっと軽くてよいのでは……(すごい重要な話なのかと思って集中して聴いてたので後から拍子抜けした)
・「三人で一刺しずつ」の発言は、無いほうが客の想像がスッキリするのでは……(刺すとしたら葛籠の上からしか無いなとは思ってましたが)
・なんで「同様の」牢なのよーーぅ 「同じ」牢じゃんよーー
・萩之介が不用意に牢の中に降りちゃうのやっぱ変なのでは……(縄を伝って降りてきてまた天井裏に戻るくらいせんのかーーい 無策!無策ゥ!!)
・近江屋を筆頭実行犯に、あの屋敷だけでなく繰り返し街や建物に火をつけてたって事実はもっと早く言っててもいいのでは (小説版もだいぶ遅いけど、小説版は「あのこと」含め悪行をまとめて最後にバラすってぇ構成になってるからなー)
【歌舞伎版ここイイネ!!!!】
◎抜いた直後にもう生え出る曼殊沙華 (びよんって起き上がってからスルゥーーッ……て伸びるの見るのだいすき)
◎萩之介の二商人への意趣返しが、辰巳屋の背を押し、お登紀に手燭を渡す、さりげなくて呼吸の合った接触がスイッチとなっていること。そうしたタイミングや重要小物の遣り取りは歌舞伎の妙味の一つであって、い~ぃ演出になさったな~~!!と思った。舞台の表側では人と人が出くわしたり格闘したりする中で大事な物品が移動して、裏側では黒衣さんから役者さんへ小道具が的確に受け渡しされてゆく歌舞伎の世界で、その「手渡し」がうまいこと活きてる!と思った。
◎お登紀が生きてる!!!! 小説版は火事の後にもう息絶えているのよ……!歌舞伎版のほうが生き長らえる見込みが残っている。思うに、小説版のほうが、お葉を振り切る際の冷酷さなど、お登紀の悪辣さが色濃くて、まだ歌舞伎版のほうが、【 あ れ で も ま だ 】、穏和なんだなぁ……!!!!
◎的場佐平次のキャラがべらぼうに深まった!!! ほんっ……とに……どうして……すごいじゃん歌舞伎版的場佐平次……なんでこんな人物像が煮詰まってんの…… これマジな話、「染五郎さんが演ります」ってなって、「それなら見せ場をもっと作りましょう、頭脳派ってだけじゃなくて自分で刀振るっちゃったり」「じゃぁ雪乃は的場が斬ることにしたら?」「そしたらその前の場で監物からの信頼を書いときましょう、佐平次のショックとギャップが際立つから」って順番で構成されてってませんか? 歌舞伎版のオリジナル手腕じゃないですか此処、すっごい、すっごいイイです、大拍手。その前の佐平次の身の震えるような恍惚興奮の余地を入れた脚本とそれにめちゃくちゃ応えた染五郎丈にも大喝采。最後、監物に名前呼んでもらえて、幽霊を見てもらえてよかったね佐平次────!
【小説版で捕獲した誤字脱字】
・p.90「床」にルビで「ゆけ」
・p.103ここだけ儀助が「義介」
・p.137 お登紀のセリフに一文字分空白の抜け
・p.249 「そうであっでも」← 〇「そうであっても」: 噛まんといて!!!最後の数ページで!!!
(あとどっか前半で、ら行の一文字衍字あったような気がしたんだけどな……見返してももう分からん……)
当日感想、以上!
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