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「みんな鞣した革だかんね〜」日記|小野寺

私は、私の書いた文章を「大切にしてほしい」。大切な文章だな、と思ってくれる人が一人でも多くいたら、いい。それで、文章を書いた小野寺美咲自身も大切にされたら、もっといい。
自分がやりたいことについて考える機会があって、これまで「小説家になりたい」と言ってきた。けれど売れたいわけでも有名になりたいわけでも多くの人に自分を知って欲しいわけでもなく、何か矛盾がある気がしてきたが、冒頭のことにやっと思い至ってハッとした。そうですよ。ずっと、そうだったじゃん。と言いつつ、やっぱり小説は書くのが楽しいし、上手くなりたいし、成れたらたくさんの人に見てもらえる機会が広がるだろうし、書きます。でもただ同時に、本当にやりたいこと以外、いつかどこかで歪みが生まれる。許容しながら生活に溶け込む歪みもあるし、人間はそういうものだけれど、死ぬまで本当にやりたいことを離したくない、と思える人生なので、私なので、私を守るのはいつだって私だし、私がダサいと思う私になってはいけない。水は低きに流れる。私は日々衰えて、気づかないうちに下流へ少しずつ流れている。全てを止めることができなくても「抗いたい」と思うなら抗うべきだ。抗えることはあたり前に希望で、嫌すぎて吐きそうだったことも悶々としたこともぶん殴るぞてめえ、と思ったことも染み込んで、皮から革へと変化していった私だから、これからも、心が指し示さないダサいことは、絶対にしない。これは私だけじゃないよ。これを読んでいるあなたもね!使い古してクッタリとして「あの頃が一番良かったんじゃないか?」とふとした瞬間に不安に襲われても、今が一番、味がある。


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