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「ムテキの人の自戒」日記|小野寺

記事を投稿する直前、自分が特定されるんじゃないか、会社の人に見つかったら、友達に笑われたら……などとハラハラして、でも書いて公開したいのはしたいのでうんうん悩み、えいやっと投稿してはまた見返してハラハラした。
これが4年前、このnoteの最初の記事を書いたときのことだ。


それが今やどうだ。小野寺美咲という本名で、仕事や住まい、父母のこともバンバカ書いているし、どうせ本人が読むこともないだろうからと子供時代の姉が過剰適応ゆえに自分をコントロールできず家で暴れまくっていた話まで垂れ流しである。すっかり、ムテキの人になってしまった(自分を開示する以上、どこで誰にみられても恥ずかしくないような生活をしようと心がけてはいますが、できているかは不明)。
今年から更新頻度を増やして、フォローしてくださる方も少し増えた。おかしな勘違いはしたくないが、嬉しいものは嬉しい。


Xや5ちゃんねるには、創作に対する「愚痴アカウント」と呼ばれるアカウントが一定数存在する。創作してネットに作品を公開しても読まれない、他者の振る舞いがマナー違反で腹が立つ、上手い人に嫉妬してしまう……。基本的には検索避けのために伏せ字を駆使して、具体的な話題は出さずに、苦しさをネットに吐き出している。最近こういう文化があると知って、どんな感情でも、吐き出さないと人はダメになってしまうんだと改めて思った。平野啓一郎先生の短編小説「息吹」から引用するに、『人間は一本の管』。取り込んだ分だけ出さなければならない仕組みになっている。


「ネットに愚痴を書くなんてダッサ」と切り捨てるのは簡単だけれど、私は「吐き出さないと心が死ぬ」感じもなんとなく分かるので、まあ悪口は好きではないが、必要性は感じる。彼らが健やかな気持ちで、何にもとらわれることなく取り込み、リアル社会で自然に吐き出せるように、なれればいいとひっそり思う。それは私自身、肝に銘じたいことでもある。AIに人間が食われる恐れについて散々叫ばれているが、ネットに人間が取り込まれる時代はとっくに始まっている。ネットの沼に浸かりきらないように、本当に大事なものはネットに書いた言葉じゃなくて、リアルで口にする言葉であるように、これからも姿勢を正して、言葉を使って生きていきたい。

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