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ただ、わたしとして生きたい『リトル・ガール』【スタッフブログ】

『リトル・ガール』

7歳になるサシャは男の子の体で生まれてきたが、物心ついた2,3歳ごろから「女の子になりたい」と言うようになり、その後自分のことを女の子だと思うようになった。学校では女の子と認めて貰えず、バレエ教室では「サシャ君」と呼ばれる。幼くして性別違和による不当な差別を受けるサシャと家族の闘いを描くドキュメンタリー。

映画『リトル・ガール』

はじめに母親のカリーヌがサシャがはじめて性別違和(以前は性同一性障害と言っていましたが、近年では性別違和というとのこと)を意識し始めたころのことを語っていますが、当初は「女の子になるなんて無理」と何気なく答えていたとのこと。

サシャの悲しむ様子を見て、はじめて問題の深刻さに気付いた、というカリーヌの言葉は、身近な家族に現実として性別違和の人が現れて、初めてその対応の難しさに気づく、という誰にも起こりうる問題を提起していると思います。

また、なんとなく性別違和を抱くのはある程度成長して第二次性徴が現れてからのような気がしていましたが、サシャの例を見ると、自らの性別に違和感を覚える年齢は、そうしたイメージとは違い、人としての自我が目覚める幼少期に既に現れはじめるのだということを知るのでした。

カリーヌは当初の自らの無自覚を悟り、サシャのためにできる限り生きやすい環境を整えてあげようとする。

ところが、驚くべきことに学校はサシャが性別違和による“女の子”であることを認めようとしない。

専門医のへの相談と助言によって学校宛てに診断書を書いて貰うことで事態を解決したいカリーヌだったが、学校の対応は遅々として進まない。

強権的非民主国家や歪んだ宗教観のどこかの国の話ならともかく、西欧の中でもこうした問題に最も先進的なイメージのあるフランスという国で、こうした前時代的対応がなされることに驚きを禁じ得ないのですが、これは国全体というより、その学校の担任や校長の人格それ自体に起因するのではないか、と思いたい。

実際そうした人に起因する問題であるなら、それはどこの国でも起こりうる、非常に腹立たしいことですが、容易な解決の難しい問題と言わざるを得ないと思います。

サシャはまた、定期的に通うバレエ学校でも同様の不当な扱いを受ける。

これまたバレエ教室の先生の衝撃的な差別発言に思わず叫んでしまいたくなるレベル。

サシャの両親や専門医の努力は当事者的にあたりまえの奮闘ではあるのですが、問題が解決しないまま、“男の子”としての扱いを受け続けるサシャの苦悩を思うと、一刻も早く周囲がその環境を整えることは急務であり、またこうした無理解を改めるべく、社会全体で意識を変えていくことがどれほど重要なことか、サシャの浮かべる涙を見て痛切に実感するのでした。

1人でも多くの人が観るべき映画だと思います。(スタッフ:ラウペ)

リトル・ガール 上映時間

2021/12/24(金)~1/6(木)まで上映

12/24(金)~12/30(木)まで
①17:40~19:10

12/31(金)~1/6(木)まで
①18:05~19:35 (12/31のみ①の回休映)