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娘とハンバーガーと私の手料理

現在2歳の娘がいる。多くの子どもがそうであるように、彼女もハンバーガーを愛している。肉やケチャップのうま味と適度な塩気は、老若男女を問わず人々を虜にするもので、彼女もその魅力にハマってしまったわけだ。マクドナルドのハッピーセットは当然喜ぶが、おもちゃがつかないバーガーキングのキッズセットでも満足らしい

ハンバーガーなどの外食や冷凍食品(かぼちゃコロッケや星形の魚フライはウケがいい)などに頼ることもある一方で、日々の食事は基本的に、私が作ることが多い。必ず手作りのものを食べさせなければ!という気負いはないつもりだが、2歳児はまだ塩分摂取量が気になるのと、娘の好みなどを考えると自然とそうなってしまうのだ。

食べることにそれほど強い執着がないのか、ガツガツ積極的に食べる子どもではなく、あれこれ工夫しないと食べてくれないので、特に野菜と魚を食べさせるのに苦心している。揚げ物はパクパクよく食べるので、油の処理や掃除の面倒が頭をよぎりつつも唐揚げやフライを揚げ、トマトが好きな娘のためにトマト味の煮込み料理を作る。野菜はポタージュにするとよく食べるので、ハンドブレンダーが活躍する機会が増えた。

私なりに彼女のことを思って料理を作っているつもりだが、それでも彼女が一番喜ぶのは、ファストフード店のハンバーガーとフライドポテトだ。「明日はハンバーガーを食べに行こうか」と言うと心底嬉しそうな顔をする

これは寂しいことだろうか?

私は、ハンバーガーに喜ぶ娘を見ると、私とはすっかり切り離されたところに、娘にとっての喜びがあることにホッとする。私がいなくても——それは例えば、私が急に他界しても、私が怪我や病気で入院してしまっても、そこまで悲観的にならなくても私が仕事や趣味やそのほか諸々の都合により、夫や親に娘を任せることだってある——そういう状況下でも、彼女が大好きな食べ物を口にする手段があるというのは、彼女の幸せにとってはとても大事なことだと思うのだ。

彼女がハンバーガーに歓喜するからと言って、私の料理に意味がないわけではない。私がいなくても幸せを感じられることと、私がいることで幸せを感じてくれることとは両立する。彼女の親として、できるだけ多くの幸せと、幸せを感じる手段と、両方を彼女に与えていきたいと思う。

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