棋譜並べ(囲碁 短編小説)
飯島光男の定年後の楽しみは、新聞に掲載される囲碁の棋譜並べである。光男の自宅には、五十歳ごろに購入した立派な碁盤と那智黒石、そして蛤でつくられた分厚い白石があって、光男はそれを自慢にしていた。もっとも、自慢できるような友人は少なかったのだが。
光男は今日も早起きして新聞をひととおり読み終えると、「名人戦」と書かれた小さな棋譜を四角くはさみで切り取った。自分で淹れたコーヒーをすすりながら、自慢の足つき碁盤の前に座り込む。膝が痛むが碁盤の前に座るのであれば、かしこまるしかない。
ざっと見たところ、白がやや悪い。右辺の陣地をほとんどとれていない上に、右下で石がダンゴになって死んでしまっている。光男はいつも通り、ぶつぶつとつぶやきながら棋譜を並べ始めた。
黒1が星、へええ、星ねえ。白2も左上の星、星同士だねえ。黒3が右下の星、三連星を取りに行くつもりかね? 白4も星。お、この白4に黒5は三々に入ったよ。白六はオサエ。黒7がノビて生きようとしているね。白も8とノビる。黒9はケイマに跳んだのね。
ここまでで左下は落ち着いて、今度は右下の黒3に白が10とケイマガカリ。黒11は第四線に高めにハサんだ。ははあ。白12は黒3に対してまたケイマにカカったんだな。黒はそれに一間ビラキにツケ。白がハネ。黒はノビ、とね。
白はここで三々に入るのか、二間も開いているがこれは定跡だったかな。当然黒はハネて白を分断しようとする。白は下辺で生きようとする。そら、黒がアタリにいったぞ。白はとられちまうんじゃないか。
ここで白は右上の黒に大ゲイマでカカったんだな。黒も上辺を大ゲイマで守る。白は、なるほど、さっきアタってきた黒へ圧力をかけようというんだな。二間ビラキ。そして黒は、おおこれは、秀策のコスミってやつだな。いいねえ。かっこいい手だよ。コスんだら対応せざるを得ないだろうて。
しかしここはケイマで守ってそこを黒はハネる。ハネたら切る。切られたらノビでこっちで生きを狙う。ははあ、二丁ツギが生きてるね。アテツケにしたかったんだろうが……。はは、ここは大トンボの形になっていたのか。この段階で袖ガカリ。コスミ。カカリ。ノビ、ノビ、オサエ、ハネ、ハネ、ハサミ、ヒラキ、アタリ、ツギ、またアタリ、ツギ、ノビ、コスミ、おやこれではグルグルマワシ。
グルグルマワシと言えばばあさん、洗濯は回しているのかな。ナダレ、ハイ、ハザマ。うーん、良くない形。ほらアタリ、ノビ、これで両アタリは回避。仕方ない、ケイマに跳んで戦線離脱。センタッキ、タオル、マゴのイモホリ。イモホリと来たらヤキイモだろうに、ばあさんはハイカラなミルク煮なんて作ろうとしていやがる。トビ、ツケ、ハネ。そういえばハミガキ、ハガキ、キッテが無かったな。マツキヨ、セキ、スギ、ココカラファイン、どこへ買いに行くか。ばあさんがクーポン券がどうのと言っていたのはどの店だったかな。ケイマ、ノゾキ、ツギ、白は劣勢。しかしハネ、ノビ、オサエ、ノビ、ノビ、ノビと粘る。今晩は魚を食べたい。サンマ、アジ、タラ、サケ、白がハネ。あーあ、黒がここでコスミ。白は完全に分断。コスミが効いてて気持ちがいいねえ。
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