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「何者」

3月4日からこの連載エッセイ『ファッション×パッション』をスタートして半年が経った。
毎週月曜更新で、今回が31本目のエッセイだ。
正直な話、そう毎週毎週心揺さぶる出来事は起こらない。
週1連載をやろうなんて誰が言い出したんだ、と怒ってみても、これは私が始めた物語であり、誰にも強制されてなんかいないのだ。

私がなぜこの連載エッセイを始めたかというと、「35歳までに本を出す」という夢の一歩として、自分自身に、そしてこのnoteを見た何処かの編集者の方に、「こいつ、書く体力と気力あるな」と思ってもらいたかったから。

ではなぜ本を出したいのか?
それは、何者かになりたいから。
音楽で食べていくという夢に一度敗れた自分が、幼い頃から続けてきた「書く」ことでもう一度夢を叶えてみせたかったから。

Mちゃんという友人がいる。
一見クールなのに人懐っこく、かと思えば絶対に他人に流されない強すぎる芯を持ったソリッドな女性である。
大学一回生のサークル選びの際に出会い、最終的に同じ軽音サークルに入り、卒業後もバンドメンバーとして苦楽を共にしたMちゃん。
卒業式にもらった手紙には、「割ちゃんの音楽への向き合い方に惹かれてこのサークルに入ったし、そんな人と一緒にバンドを組めて嬉しい」という旨が書かれていた。
Mちゃんには「何者かになりたい」という話を度々していて、出会った19歳の頃から33歳を目前に控えたこの歳まで、すぐ傍で私が何者かになりたくてもがく様子を見守ってくれている。

結婚すると決めた時、「丸くなって、つまらない歌詞しか書けなくなったらどうしよう」と不安がる私に、「丸くならないよ、絶対」と言い切ってくれた。
離婚すると決めた時、「バツがついた私はもうこの先誰とも幸せになれないかもしれない」と絶望する私に、「来年には新しい彼氏できてるから大丈夫」と言い切ってくれた。

けれど、この連載エッセイを始めると決めた時は、「音楽では何者にもなれなかったから、今度こそ夢を叶えて何者かになりたい」と意気込む私に、Mちゃんが何かを言い切ることはなかった。

その代わり、「夢の過程の中で、たとえ『何者か』にならなくとも、割ちゃんが割ちゃんとして存在しているというだけで尊いことだと、心の底から思える日が来たらいいな」と願ってくれた。

エッセイが思うように書けない時、また今度も何者かになれずに終わるのか、と不安に襲われる時、Mちゃんのこの言葉を思い出す。
私はいつか何者かになれるだろうか。
それとも、何者かになどならなくていいと、いつか自分に言ってあげられるのだろうか。

その「いつか」に向けて、今日も書くのを辞められないでいる。

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