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アンビエント・ボーイ

「大人になってから毎月会える友人は、小学生でいうところの『毎日遊ぶ友だち』だから大切にするべし」という見知らぬ誰かの投稿を見ながら、私は佐藤のことを思い出していた。
これまでのエッセイでも度々登場してきた大学からの友人だ。

よく考えると、佐藤とは大人になってからの方が密な関係を築いているような気がする。
いや、どちらかと言えば環境が変わり学生時代のようには会えなくなった友人たちの中で、佐藤だけが変わらずに「そこにいる」(佐藤視点で見れば、私だけが変わらずに「ここにいる」)のかもしれない。

佐藤と私は大学の軽音サークルで知り合い、卒業と同時に音楽を辞めていく友人たちの中で、私たちだけが変わらずに音楽を続けていたことも大きかっただろう。
5年前に私が音楽を辞めてからも、佐藤は音楽を続けている。
私が音楽を辞めて皿割子になったように、佐藤も音楽のジャンルや形態こそ変えながらも何かを表現し発信し続けることを辞めない。
お互い休日は創作活動に勤しんでいるため、会うのは平日21時ごろから。
場所は決まってマクドナルド。
野球部の部活の後みたいな量を2人でかきこみながら、話題は「なりたい自分にどうなっていくか」という、やはり部活みたいなことをこの歳まで毎月やり続けている。

「アンビエントを知らない人にも魅力が伝わるようなイベントをやりたい」と言われた3年前のあの日の舞台も、きっと平日夜のマクドナルドだったと思う。
佐藤は数年前からバンドを辞め、アンビエントミュージックを始めた。
アンビエントミュージック(環境音楽)は「作曲家の意図を主張することなく、それでいて意図的に聴かれることがない音楽」だそうだ。
つまり、「そこにある」音楽である。
イベントを開催するなら、まずはコンセプトを含めた企画書を作ろう。そしてそれを持って、イベント場所や出演者を募っていこう。
そんな私の提案で、イベント開催に向けてのプロジェクトは動き始めた。

そして迎えた第一回目。私はブチギレていた。
コンセプトや企画書に沿わない、沿わせようという意図が見られない内容だったからだ。
私が「来年もこんな感じなら、もう手伝わないし、もう来ない」と言うと、「また巻き込むし、来年も呼ぶ」と佐藤。
周りに友人たちが沢山いたけれど、ちょっとした言い合いになって、最終的に佐藤はやけにスッキリした顔で「なんかこういうの、ええな」と言った。

そして昨年の第二回。私はブチギレていた。
結局私は「友人として話は聞くけれど、一切意見はしないし関わらない」という条件で佐藤のイベント開催に向けての近況報告を受け続けていた。
なんとなく、今回こそは良いイベントになるような気がして、まんまと佐藤の誘いに乗り、イベントに行き、ブチギレリターンズとあいなったわけである。

でも、勝手にまた期待して、イベントに行くことを決めたのは他でもない私自身だ。
佐藤に意見を求められない限りは、言及しないでおこうと決めていた。

イベントが終わった翌週の平日夜。マクドナルドで佐藤が「イベント、どうやった」というので、私は堰を切ったように話し始めた。
「優しい友人たちから『開催するだけですごいよ』って言われたこと、悔しいと思わんのか。開催するだけなら誰でもできる。あの時私たちが頭を抱えて考えたイベントは、こんなもんじゃなかったやろ」と言った声は震えていたと思う。
佐藤はまた、やけにスッキリした顔で「やっぱり、皿だけは呼ぶわ。毎年必ず」と言った。
「二度と呼ぶんじゃねーぞ!」と声を荒げても、佐藤はヘラヘラと笑うだけだった。

そして今年。
これまでとは違って、本能的に「どう過ごせばいいか」がわかる内容になっていた。
私は、5時間という長時間のイベントで、ほとんど過集中のような状態でエッセイを2本書き上げた。
目を瞑って瞑想状態の人もいれば、ずっと友人同士で喋っている人もいる。
バンドのライブだったらありえない。でも、アンビエントはそれが許される。
アンビエントは、「そこにある」音楽だからだ。
イベントにはカレーとコーヒーの出店もあって、ブワーッと文章を書いては、時々カレーを食べながら、コーヒーを飲みながら、アンビエントに包まれて過ごした。
この1年、思い返せば1人の時間なんてほとんどなくて、いつも何かに追われる日々だった。
こんな風に、自分のためだけの時間を過ごすのはいつぶりだろう。
初めて、アンビエントが、佐藤のイベントが、素晴らしいものに思えた。

佐藤はきっと来年も再来年も私を呼ぶだろう。
そして私も、やいやい言いながら、行くのだろう。
「そこにいる」。そういう感じで、これからも続いていく。

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