もはや思い起こされることはない


[へブル人への手紙 10:3]
ところがむしろ、これらの*いけにえによって罪が年ごとに**思い出されるのです。


*大いなる贖いの日に捧げられるいけにえ。
これらの生け贄は、過去1年間の罪滅ぼしをしただけのものである。その効力は未来には及ばず、犠牲を捧げた者以外には及ばない。

**思い出される-1年に1度、贖罪の日に大祭司が告白することによって、過去の年の罪、以前のすべての年の罪を思い出させること。  

したがって、これらのいけにえは、人間が必要とする償いをすることはできなかった。

ヘブル10:17は対照的に、

[へブル人への手紙 10:17]
「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われるからです。


贖罪のいけにえとは反対に、福音の赦しは完全であり、罪は神によって「もはや思い起こされることはない」(ヘブル10:17)。

この一度きりの清めを「忘れ」、「かつての罪」(2ペテロ1:9)のゆえに恐れるのは不信仰である。

[ペテロの手紙 第二 1:9]
これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。


信者は、一度すべてを浴びたのだから、あとはキリストの血で、日々の汚れに応じた「手」と「足」を「洗う」だけでよい(ヨハ13:10)。


[ヨハネの福音書 13:10]
イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのですが、皆がきよいわけではありません。」

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