「自己中」は自分中心だという嘘

自分を大切にしよう、自分軸として生きていこう、という文化の中で「自己中」という言葉が妨げになりやすい。

日本の文化ではこの数十年「自己中」つまり「自己中心的」は罪だとされてきた。自分のことしか考えておらず、他者を見返らない。だから輪を乱し、迷惑な存在なので改めるべき。という価値観だ。

これは長年「人に迷惑をかけること」を大罪としてきた派生だと考える。

人に迷惑をかけない人間などは存在しない、という気持ちは置いておいて

実は「自己中」こそ、自分を中心に置けていない人を指す、という話をする。


自己中と評される人の多くは「自分の欠けているところを、人に埋めてもらおう」とする人だ。つまり、自己評価が低いので、やけに人に期待したり、できそうにないことにしつこく要求したり、期待にこたえてくれないと憤慨する。それは「自分の人生を他人にどうにかしてもらおう」という気持ちの現れであり、同時に「自分の人生は、自分で幸せにできない」と落胆していること、つまり自分が自分の人生の中心にいてはいけない、と思う人のことだ。

実は、自己中と評される人のほとんどは、自分を人生の中心に持ってこれていない。自分の力を信じず、人生を信じず、誰かに自分の人生を操縦してもらおうと思っている。なので、うまくいかない理由を他責にする。そして、あの人は自分のことしか考えていない、こちらが何をしてあげても満足しないどころか、当然のように責任を押し付けると憤慨する。

本当の意味での自己中心的とは、誰かに何かをしてもらったら嬉しい、だが自分の人生を信じているので、苦しみ、悩んでいても誰かのせいにすることはない。己が中心だからだ。自分の気持ち、行動が全てであり、人はおまけと考えているからだ。それは自分を責めることではなく、自分も含め、誰のせいでもないと考え、前を向けることだ。

自己中という言葉の一人歩きは、自分を大切にすることと混ざりがちだ。

しかし、自分を中心に持ってきて、大切にすることは、人に迷惑をかけたとしても生きることの障害には決してならない。

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