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「どうせ」という言葉

久しぶりに地元をサイクリングした。
約4ヶ月ぶりに、自転車にまたがる。
中学校からずっと通学に使っていた、赤い自転車。
今日は風が強いけれど、その自転車をみたらどうしても乗りたくなって、
行き先も決めずに家を出た。


ひたすら自転車を走らせた後、市内で一番大きな公園に行ってみる。
駐輪場にはいつもたくさんの自転車があるけれど、風でドミノ倒しになっていた。あちゃちゃ、大変だ。そう思って、自転車を端から一個一個起こしていく。

すると、たまたま通りかかった高校生が、気付いたら何も言わずに手伝ってくれていた。陸上部の紫のジャージ。面識はなかったけれど、高校の後輩だった。
「手伝ってくれてありがとう。」
そう言うと、「いいえ。」と不器用に笑って返してくれた。
二人で黙々と自転車を起こしていく。相当な数があるから大変だった。
もう少しで全部起こし終わるかというところで、
自転車がまた強風に煽られて倒れていってしまった。
あああ、せっかく起こしたのに。
そう思い立ち尽くす私に脇目も振らず、
すぐさまもう一度自転車を起こしていく後輩。
正直に、かっこいいと思った。


その直後、別の高校の生徒が自分の自転車を取りに駐輪場に。
「うわっ、やば、めっちゃ倒れてんじゃん。」
そう言いながら、他の自転車がどうとかはお構いなしに、
自分の自転車を引っ張り出す。ひきづられる数台の自転車。
ああ、傷ついちゃっただろうな…
「あの、他の自転車を起こすの、手伝ってくれませんか。2人じゃ大変で。」
後輩がその高校生に向かって声をかける。
「でもどうせすぐ倒れるでしょ。意味ないよ。」
そう言い残して、去っていった。

唖然としてしまった。
後輩はまたすぐに自転車を起こし始めた。
たまに、肩を震わせながら、倒れた自転車を見つめていた。
私はその後ろ姿に、何も言葉をかけられなかった。


この「どうせ」という言葉は、とても強い力を持った言葉だと思う。とても、悪い意味で。誰かの挑戦や誠意を、自分が価値のある行為だと信じたことを、一瞬にして踏みにじるような。
どうせできないよ、あいつに勝てるわけないじゃん。」
どうせ意味ないよ、言ったって変わるわけない。」
その「どうせ」を受け取った側は、いつしかこの「どうせ」を自分に対しても使ってしまうようになる。
どうせ頑張ったって、勝てるわけないんだ。」
どうせ自分が言ったって、変わるわけないんだ。」
「どうせ」が心の中に住み着くと、自分自身のことを否定し始める。何もできないと思い込ませる。
どうせ無理。」「どうせできない。」
「どうせ」が溢れた中に生きていると、他人に勝手に自分の限界を設定されてしまうし、自分でも自分に限界を設定してしまう。


嫌だな、そんなの。
みんなが「どうせできない」の代わりに、「きっとできる」って言えれば素敵なのに。その人の信じたものを、その人の挑戦を、みんなが認め合えるようになればいいな。みんなが自信を持って、自分が正しいと信じた行いができれば。


私はこの後輩に、「君はかっこ良かったよ。」と
言ってあげれれば良かった。

まだまだ未熟で無知な若者だけれど、そんな私でもできること、私にしかできないことがあると信じて前に進み続けます。よろしければ応援お願いします。