小説で豊かになっちゃった
最近小説を読んでいる。「イリヤの空 UFOの夏」「幼年期の終わり」を読んだ。インターネットの合理主義が移って、意味のない文章を読むことに抵抗があったんだけど、最近はそもそも意味のある文章とは何かという問いにぶつかってしまっていて、情景とか感情を詳細に描写するすべを持っているということも何らかの意味はあるよなーとか思ってきたし、今まで意味あるとか役に立つとか思ってたことの部分部分よりも描写力という能力の方が汎用性は高そうだなとか思う。僕の思う「意味のある文章」って、基本的に新しい言語が出てくるからめっちゃ読むの疲れるんだけど、小説は既存の言葉の羅列なのでパソコンの辞書といったりきたりしなくてよくて読みやすい。イリヤの空、良い。久しぶりにラノベを読んで、オタクだった頃の記憶を取り戻したような感じがした。無口で不思議ちゃんっぽい女の子って、Vtuberばっかり見てるといないから見てなかったけど、いざラノベの中で現れてくると「萌えー」ってなった。僕はパソコンの画面を通してしか女の子を最近見ていないので、豊かな妄想生活のためにいろんなコンテクストから女の子を摂取していきたいと考えている。幼年期の終わりは、オーバーロードっていう人類より卓越した科学技術を持っている宇宙人が「我々はもう進化することはないけど、人類はこれから進化していく。それがうらやましい」的なことを言っているシーンに感動した。今の僕らってまだまだ不完全だし、宇宙が何かわからない以前に自然を明らかにできていないわけで、まだまだ幼稚なレベルで言い争うことしかできない種族なんだよなって思うし思ってたので、なんか説得力を感じさせた。SF小説ってあまりに現実離れしてるよりも「確かにこうなってもおかしくない」とかの方が面白いなと思ったし、未来を予測する方法ってSF小説を書くことなんじゃないかとまで思ってきた。
小説って映画とかアニメとは楽しみ方が違う。一節一節の意味を自分で考えてこんな感じかなって想像するそのプロセスが、受動ではなく能動の脳を使って主体的に物語を楽しむことができる感じがして感性が豊かになっていく感じがする。視覚情報よりも文章の情報の方が何が起こっているのか、どんなことを伝えたいのかがより明確な(というか情報量が少ない?)感じがするから、「アニメ見ればいいじゃん」じゃなくて、そういう描写の精度が高い方は、小説の方を読みたいなと思う。イリヤから下駄箱に手紙が届くシーンがあるんだけど、誰にも見られないようにわざわざ屋上に行って読んでその後ちょっとうつ伏せになってまた続きを読んでその後ずっとひっくり返ったままセミの声を聞くみたいな(めっちゃ抽象化しちゃったけど)描写があって、そこがなんかエモいなと感じた。読むの怖いけどでも読みたいみたいな、イリヤのことを重要に思っている感じが伝わるのがなんか良いなと思ったし、その子のことを重要だと思って関わるっていう経験をあんまりしてない僕からしたら憧れだなと思う。「自分が重要だと思う人との関係がどう動くか」みたいな場面って、人生において結構重要なシーンになりえると思うんだけど、僕はそういう経験してないからしてみたい。そのためにまず重要だと思える人を見つけなきゃいけないんだけど、その前に軽く悟っちゃって「全部空だな」とか言っちゃってるし、そういった甘酸っぱい青春は過ぎ去ってしまったという事実を受け入れきれない。
小説を読んでいると、今まで感情をおざなりにしてきた自分が恥ずかしくなってくる。人間の豊かさって感情と切り離せないのに、概念同士の関係の結びつきがあーだこーだとかいって感情から孤立した島に籠ってユートピア的な堕落を送っていたことが浮彫りになってしまい、視界を空にしか向けていなかったせいで自分が裸であることに気づかないやべー奴になった気分になってしまった。確かに空を見上げるのは気持ちいいし、人は時としてフルチンになるけども。なんらかの欠落している要素を浮き彫りにするためには、それと一見関連のありそうにない特定の変数ないし複数の変数の変数で脳というコンピューターに象徴化せずに無視できないレベルの刺激を加えてあげることが大事なのかなという、ふわっとした思考のスキームが新たに生まれた。関連にありそうにないと思っていることって、結局経験からの学習と分類する本能の影響だと思ってるので、神視点から見るとだいたいのことは関連があって繋がってるのかなとか感じる。
真理はわからないけど、それを邪魔する人間の本能はわかるみたいなことって結構広まってきたと思うんだけど、それが故にその本能が「無い」ことがアイデンティティになってしまって、結局真理ではないが真理にちょっと近づいている新たなオルタナティブ価値観の形成までたどり着かないことが多く(というかこれが何なのかもわからんが)、結局ベターにどこを満たすのかなとか考えるんだけど、そういった点を打って直線を引いてその中の位置の中でどう振舞うかみたいな図を、別の対応させられそうな評価軸の図と対応させることで、何らかの価値には持っていけるだろうなとか思うんだけど、その何らかの価値に自分がどの程度重要性を感じているのか、心が躍るのかという問いがずっとあって、それらを思考の土台として圧縮してまた新たな新天地を開拓するみたいな、そういった人間の成長方法ってあると思うんだけど、そのプロセスそのものが海馬に全て記録されないので困難にさせてるってところがあると思うから、記述する必要があるんだけど記述にもモチベーションと部分的な視点が絡むので不完全で、そのあたりを機械化して可視化できればいいなぁとかぼんやり考えた。目が三つあれば、一つの粘膜が今見ているあるいは考えていることの詳細な情報を見れるので良いんじゃないかなーと思うんだけど、そうしたら脳も一緒にでかくしてあげないと処理オーバーしそうだな。
伝わる言葉はどんどん圧縮されていってしまうのがこの世の摂理だと思うんだけど、本来圧縮せずに具体的に伝えなけらばいけないことも圧縮されてしまって、そして謎の空気を読むとか会話のリズム感がとかいう文化的な要素などからその解凍作業にも用意に取り掛かれなくなるという事態に陥り、ある種の内面の冷凍化現象みたいなものがあると思ってるんだけど、文明がもたらした冷凍食品が美味しいように、圧縮された言語にも特有の安心感があるので、その辺りのファストフード化、ジャンキー化、ドーパミン化現象って加速していくのかなぁとか考えている。
※間違えることを楽しんでいるので、真面目に読まなくて大丈夫です。(多分ユーモアで土を慣らすとこの注釈はいらなくなる)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?