ソシャゲのコミュニティ感

寂しいという感覚に久しぶりになってる。最近CBDオイルで炎症が改善したからかわからないけど、睡眠時間が減って9時間くらいになって(前までは11時間)、なおかつ謎に体と頭が動かなくなってその場でもがき苦しむだけの2時間が少し緩やかな苦しみになって、一日のうち意識がはっきりとしている時間が増えてきたんだけど、相変わらず知的活動は一日2時間できたらいい方という脳の萎縮具合で、かといってハマってるゲームもアニメもないから、なんか空に向かって祈ったり仏像を想像して祈ったりしてみてちょっと気持ちよくなるんだけど1時間くらいで飽きて、その後は本当にやることなくて体力と集中力が戻るまで待ちみたいな状態になって暇すぎて虚無る。苦しみと共に生きていたから、あんまり苦しくない時にどういう活動をすればいいのかわからない。「暇」っていう状態は、人をあんま良くない状態にさせる。

ライバルズの闘技場やりたいなぁ。もう2年前にサ終しちゃったけど、めっちゃ好きなゲームだったし、好きな配信者とかも結構いて、コミュニティ全体の雰囲気がマイノリティ感があって好きだった(ROM専だったけど)。シャドバのコミュニティはマジョリティな感じであまり熱が入らないけど、ライバルズはコメントが荒れてたり、身内ノリ的なのが多かったから楽しかった。音声読み上げの棒読みを使ってセミの鳴き声を配信に乗せたり、喘ぎ声を配信に乗せたりして遊んでる人がいながら、ライバルズの中では確率的にかなり低いメタカードが相手の手札から出てきて、配信者がそれにはぁー?みたいなリアクションを池沼みたいな声でする、そんな感じの雰囲気で配信が成り立っていて、その独特の空気感が当時の僕にはかなり刺さってずっと配信を見ていた。シャドバの2pickと違って、ライバルズの闘技場はデッキを組むのが面白くて、5枚ピックするごとにどんなテーマでカードを集めるかが3択の中から自分で選択出来て、それがゆえに上振れのピックがかなりやりたい放題できてそれも楽しかった。シャドバはかなりバランスがとれてて良ゲーなんだけど、ライバルズはバランスが狂ってるカードが一定の定期で現れて、そのたびにそのカードをまったく使い物にならないくらいナーフしたりする、わりとぐちゃぐちゃなバランス調整の時期もあって、そのぐちゃぐちゃ感も好きだった。BGMもすごく好きだったし、3Dモデルのかわいいキャラを愛でながらカードゲームをできるって時点で最高だったんだけど、DCGはやっぱ課金力が強くないのかサ終してしまって悲しい。プロデューサーの二木って人も、文句いっぱい言われてたんだけどなんだかんだみんなから愛されてて、わりと好きだった。

ソシャゲって、そのゲームの内容もだけど、配信者コミュニティとか、プロデューサーとか、アップデートのワクワク感とか、そういうの全部込みで楽しむものなんだろうなって今書いてて気づいた。最近レスレリアーナのアトリエってソシャゲやって1ヶ月で消しちゃったんだけど、あれストーリーは面白くて続けたかったんだけど、それ以外の要素、人との繋がりの面で毎日ログインするモチベが湧かなかったっていうのが大きいと思う。「みんながこのゲームを楽しそうにやってる。だから僕も毎日ログインしてみんなの話に追いつきたい」という気持ちが、無意識だけどあったんだと思うし、多分そういうのはソシャゲにおいて大事だと思う。7年前くらいのグラブルも、春田プロデューサーっていう木村の前のプロデューサーがいて、生放送でボロクソに言われたりいじめられたりしてて、Twitterに「いただきます(唐揚げとご飯の写真)」5分後「ごちそうさま。仕事戻ります(空の食器)」みたいな投稿してて、すっごい苦しそうにしてて面白かったんだけど、なんかそういうアングラな雰囲気がコミュニティにあったから、僕的にはなんか居心地が良かったんだと思う。でも最近はソシャゲも大衆化してきて、古戦場走るなんて気の狂った人だと昔は思ってたのになんか今Vtuberもやってたりするし、運営もガタガタな手探り状態じゃなくてある程度予測可能な無難な感じのアップデートを提供することが多くて、全体としてのコミュニティ感の雰囲気が、時代によってとかゲームによって変わっていくんだなぁと感じている。これからAIがゲームをつくる時代が来たとしても、そのゲームのコミュニティはどのように作られるのか興味があるし、僕はどんなコミュニティが居心地が良いと感じるのか、それともゲームより意義深いコミュニティができてるのか、雰囲気は一定だけどみんな性格とかはばらばらな感じのコミュニティをAIで再現できるのか、どんな世界になるんだろう

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