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台南に行きたくて行きたくて、その気持ちを鎮めるために書いていたら、ますます台南に行きたくなってしまった、どうしよう。

台南のことを「台湾の京都」とたとえているのをよく見かける。それは台南も京都も以前その「国」の「中心」だった事があり、今もなお、たくさんの古蹟が残るからなのだろう。

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けれど、私自身はそれを見るたびに少しだけ違和感を感じる。

そもそも台南は「台南」なのであって、日本のどこそこにたとえるのは台南に対して失礼な気もするが、「府城であった台南を、日本の古都と言われる場所にたとえるとすればどこか」という問いがあったとすれば、私は京都ではなく奈良と答える。

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空が広く、その青い空と白い雲が街に調和し、流れる時間もどこか大らかでゆったりとしている。街全体を包んでいる安閑な空気が、華やかな京都よりも素朴な奈良に近いように思う。

古代か近世かの違いはあれど、奈良と同様に台南にも血の流れた過去がある。だが、どちらもその過去に湿り気のようなものを感じない。
もちろん起こった出来事は決して忘れられたわけではなく、しっかりとその土地に刻まれている。けれどそれがこちらに迫ってきて息苦しくなるようなことがない。
ミイラでもないし、抜け殻とも違う。過去の時間がさらさらと乾いていて、まとわりついてこない。その記憶を受け取る相手の感覚に任せているような、そんな感じがする。

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そこかしこに点在する古蹟や遺跡も主張してこない。派手な色彩の廟ですら街の風景に溶け込んで、ただそこにある。

実際に生活してみたら、また感じ方も変わるのかもしれない。
でも今のところまだ「来訪者」でしかない私には、台南のあの大らかさと乾いた過去が心地よい。
そしてあの心地よさが恋しい。

自分が好きなこと、好きな場所、好きなもののことだけを書いています。もし気に入っていただけたのであれば嬉しいです。