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「やり返してやれよ」

今日は若い友人と会っていました。
知り合ってもう8年くらい経つのですが、改めて自分が何をしてきた人か、お話をしました。

大学院を出て、就職、結婚をきっかけに退職。
上京して非常勤で仕事を続け…子どもの幼稚園が自主運営だったので、どっぷり運営を堪能、広報、園児募集の責任者をしました。
毎日が文化祭気分で、保育の現場を外からサポートすることに、やりがいも感じていました。

子どもが小学校に入ってからは、パートをしながら、外国につながる子どもを対象とした日本語学習支援教室を、仲間と立ち上げました。
きっかけは住んでいる自治体の広報誌。たまたま夫が、日本語学習支援者養成講座の記事を見つけて、受講を勧めてくれました。
実は学生の頃から、日本語教育に携わりたいと思っていたのです。
でも子どもじゃなくて、海外で教えたいんだよね、と言ったら、夫が、何がつながるかわからないからやってみたら、と。
そこでは5年ほど活動しました。

夫は当時、進学したくて10年勤めた会社を辞めて転職。
そして専門職大学院へ進学。平日は職場から大学へ直行、夜中まで研究。
土曜日は朝から一日中研究。日曜日は家族の時間、という生活でした。
きつそうだけど、とても楽しそうで、「いいな」と思っていました。

共通の友人に「夫が楽しそうに大学院に通っているの、羨ましいって思うんだよね」と話したところ、

「やり返してやれよ。」

と言われました。
そっか、私もやりたいことやっていいんだ。

子どもの日本語学習支援教室を立ち上げて3年目に、もっと日本語教育を学びたくて、大学院へ進学しました。大学院には3年通い、専門を生かして教育系に就職、任期満了まで5年続けました。
その後、結婚前の仕事(こちらも教育系)に戻って5年。こちらも任期満了で退職しました。
任期満了直後から森林浴について学び…今ココにいます。

若い友人には私の話では、
「やり返してやれよ」
のことばが強烈に頭に残っていると言われました。

でもね、最近「やり返す」なんて気持ちでよかったのかな、と思うのです。
夫の人生と私の人生は別物であって
彼は自分のやりたいことをしている。
私は私のやりたいことをやる、それだけでよかったのじゃないかな、と。

「いいな」という言葉を使うのも、やめました。
こちらは「いいな、と思うのなら、やったらいいじゃん」と娘に言われたことがきっかけ。
「いいな」と言っている時点で、自分の足は立ち止まっていることに、気づいたのです。「いいな」と思った相手に、呪いをかけていることにも。

私は私。私がやりたい。私がやる。
それだけでいいんじゃないかな、と思うのです。

一歩踏み出そうと思っているあなたの、背中を押しますよ。
自分が主語の人生を、歩んでいきたいよね。



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