ずっと故郷を離れたかった

私は、小学校入学直前に引っ越しをしました。
それまでは大都市の隣まちにある団地に住んでいました。
まだ車が少なかった時代、団地の建物の周りは車は通行止めになっていました。
だから、子どもの足でどこまでも遊びに行けたのです。
団地は子どもがいっぱいいて、自分より年上のお姉さんたちの後をついて、遊びまわっていました。
団地の周りの道路を一本はさんだ向こう側は、田んぼや畑でした。
春になるとレンゲが咲いてきれいだったのを覚えています。
隣の家に住む幼なじみと、レンゲ畑で遊んでいた記憶も残っています。
どこまでもどこまでも、幸せな記憶。

小学校に入学する直前に、大都市の郊外に引っ越しました。
新しく造成されたまちで、我が家は団地のはずれの一軒家。
小学校までは歩いて片道30分かかりました。
登校班のみんなが集まる場所は、団地を通りすぎた向こう側。
集合場所に着いたら置いてきぼりにされていることが、しょっちゅう。
きっと私が歩くのが遅くて、集合時間に遅れていたのでしょう。
しかたなくひとりで歩いて学校へ向かったものでした。
小学校に入ったばかりの1年生が。

しばらくしたら、我が家から近い団地の登校班に入ることになりました。
そうしたら集合場所も遠くなくなったのですが。
ひとりだけ途中から班にはいったことや、「団地の子」ではないからか、やっぱりひとりぼっちになることが多かった気がします。

中学校になると、登校班はなくなりました。
「団地の子」の友達と一緒に、中学へ通う毎日。
でもクラスが変わったり、一緒にいる女の子のグループが変わったりすると、毎日一緒に学校へ通わなくなったり、またくっついたり。
めんどくさい中学時代でした。

そう、ほんとうにめんどくさい。

ある日なにがきっかけだったか忘れたのですが、お弁当の時間に、教室から机を廊下に出してひとりでお弁当を食べた日がありました。
クラスの委員長をしていた男の子には「いちいち反応するからめんどくさいことになる。気にするな。」と言われました。

また別の日に、これもきっかけは忘れたのですが、学校を飛び出して家に帰ろうとしたことがありました。
その時はあとから、クラスでいじめられている女の子たちが追っかけてきました。
私が逃げ出すと、次は自分たちがいじめられるから、戻ってきて、と。

そんなめんどくさい中学時代。

自宅から少し離れた高校に入った時、同じ中学の子は何人かいたのですが、クラスは一緒になりませんでした。
というか、同じ中学の子の存在は忘れてしまうくらい、世界が変わったのを覚えています。
空がぱあっと広くなりました。
だって、みんな私のこと、知らないのですから。
「◯◯公園の前に住んでいるさららちゃん」
「中2の時××だったさららちゃん」
そんなこと誰も知らない。

子どもの頃から母には、いずれ故郷を離れて、遠くで暮らしなさいと言われて育ちました。
今住んでいるここを離れることは、自由への切符を手にすること。
大学受験は失敗して、故郷を出られなかったけど、結婚相手はここの人ではない人と。
そう思っていたら思いは叶って、今は大都会の何倍も大きい東京で暮らしています。

ずっと故郷を離れたかった。
それが叶ってみると
故郷が合わなかったのか
そうじゃないな
故郷のせいじゃない
「◯◯公園の前に住んでいるさららちゃん」
「中2の時××だったさららちゃん」
紐付きの自分が嫌だったのかな、と思います。
紐付きじゃない自分で生きたかったのかな。

〇〇ちゃんのママ
〇〇さんの奥さん
じゃない自分を生きていますか。

一歩踏み出そうとしているあなたの、背中を押して押したい。


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