見出し画像

20210916

例えば、ずっと行き来していたものだと思っていたものが‥
実は物陰に身を潜めていて、明るくなると公然に現れていたのだとしたら‥。
まるで、江戸川乱歩の小説にでも出てくるような、スリリングなはじまりですね。(そういえば、わたしはあまり、本がみれる方ではありませんが。村上春樹、有川浩、伊坂幸太郎と続いて、江戸川乱歩、星新一、コナン・ドイルの小説も、繰り返しみていたことを思い出しました。)

話は戻りまして、蜂さんの話です。これまで、内と外を行き来しているものだと思っていました。


が!!

違いました。
ずっと、部屋の隅だか、隙間だかに隠れていただけなのでした。生きる智慧を感じますね。
わたしたちには、子どもはおりませんけれども。下宿先へ帰るのかと思いきや、「学校オンライン授業やし。しばらく、実家で過ごすことにするわー。」とでも、言い放たれた感じです。
何でしょう‥。そんなに、心地がいいと感じてくれているのかと、嬉しいやら。明日から森の暮らしへ移動しますので、困ったやら‥。
再び、パートナーは箒を持ち、わたしは「わたしたちしばらく居ないし、窓が開閉できないと、お腹空くと思うねんな。せやから、広いところへ行っといでー。」と声を掛けると、大空へ飛び立って行かれました。げんきでな、達者でなと、見届けました。

植物たちはというと、季節が変わるとなんだか様子も少し、変わってきていました。ベルベーヌは、葉を巻いているし、エキナセア‘ふみ’も、なんだか、しっとりしちゃって。マロウも、水分過多なようですし…。
ふむ。わたしも、自身の湿りと乾きがようやく、体感として感じられるようになってきているところで。その傍らで、アロエのたくましいこと!わたしはきにかけすぎると、過多もしくは、乾きすぎと、どちらかに偏ってしまいがちなよう‥。それはそれで、ええところをバランスとっているのでしょうけれど。台風もお控えなさっているので、にんともかんとも、ニンニンであります。(忍者ハットリくん)

今日は、身体がだるくて夕食を作るのも億劫でした。
けれど、ベランダの小松菜がしなってペターっとしていたので、抜き菜の炒めたものと、わかめふりかけのおむすび。つるむらさきを炒めたものに塩で味付けしたもの、ししとうを焼いて塩で味付けたもの、梨にすだちを絞ったもの。野菜や果物に触れていると、ムクムクげんきが湧いてきて、お腹も、きもちも満たされました。

おきにいりのお皿が割れたけど、なにかの調整かもしれない。意味などなく、ただ割れたという現れなのでしょうけれどね。

こうしてわたしによる、わたしのためのようなこのブログに記すことは、これまたはて、なんの意味があるのかしら…。今に生きるなら、もぅ、ええんちゃうん!
そう感じていたけれども。
こうして、なにげない暮らしから、きづいたこと、言葉や文字にしてみることで、何かが同時に手放されていくように感じた。たったそれだけのことやけど、ヒーリングにも、セラピーにも、癒やしにもなっているんやも♨

サポートいただけますと ハートから よろこびがあふれます♨