見出し画像

ここしばらく、人との距離を物理的にも、心理的にも、とっていた。どういう段階であれ、わたしにはこの距離と時間が、必要だった。

心の変化として、

「人とかかわることが面倒くさい」
ここの真意は…

「自分の意見を表すのが、怖い」
わたしは、すべてを言葉などで表すことだけが、したいのではない。ただ、居るだけの人と交流するのも、いいじゃん…。てか、わたし、そんな感じかも。


「自分の意見を人に伝えるのが怖い」
自分と対話する中で、自分が何に重きを置いているのか、自分はどうしたいのか。
意志、選択、トライ&エラー、体感、経験の連続…そして、今もなお…。



「なんや、伝わるものは伝わるんや」
ただ、感じたらええやん。なんや、シンプル〜!めっさ、楽〜!

という流れ、動き。

ニャンコロさんから、個人の意志や主張があって、良かれと意見をくれる人もいた。わたしは、自分が感じている感覚に素直に、正直に対応することにしている。ジャッジにきをつけつつ、自分で選択、意志決定、責任がとれる。それがなにより心地よく、きもちがいい。
誰かに、共感してもらいたいとか、わかってもらおうということもないし、今もそう感じている。意見や意志を人に押し付ること、批判することは、つまらない。
人の集まりも、行きたいとも行きたくないとも、どっちでもなかった。自分の意見を主張するとか、だんまりして表面的な調和を保つとか、どれも違った。ただ、わたしの言動によって、人の顔色や雰囲氣の変化を感じたり、人の予期せぬ反応が、怖かった。 
と同時に、その瞬間の自分の反応とか、自分でなく人の機嫌をとることとか、ただ意見をくれたことに凹んだり、怒ったり、批判する自分が赦せなかったり…。
なんや、自分をそのまま感じることが、怖いんや。そのままの自分を赦せないことが、辛い、悲しかったんや。その赦せない自分をも、赦せなくても、ただ感じたげたらええやん。なんや、それだけやん。あらーー!楽やん!
人に言葉や行動で表すことで、それぞれに伝わることもあるんだなぁと、実感している。ここに、期待も見返りも存在しない。

自分が感じていること、たいせつにしていることに耳を傾けるにも、距離と時間が、わたしには、必要だったんだ。
新月のきづき⚪厳密には新月ではないけれど、新月の影響はあると感じている。

切り花で頂いたカーネーションは、少しずつ色が褪せながら今も、咲き誇っている。朽ちたカーネーションは、土へ。引っこ抜いたスペアミントからは、根が伸びてきた。ポットに入れて土に還すね。
日野菜蕪が、採れました!
ローズマリーが枯れた。枯れたのはお香に。これまた頂いてきたローズマリーの挿し枝をしてみる。何度だって、トライする。諦める、諦めない、どちらでもない、選択はその瞬間に。意志は、すでに放たれている。

最近ハマっていることは、朝陽を眺めること。どんなに夜ふかしして遅く就寝しても、朝日が昇るまでに、目が覚める。「年重ねているからなぁ〜」とか、そういう面白いネタか、ジョークのように笑いながら、心は如何に!?、思ってもしたくもないレッテル、括りや制限を、自分にしないという遊びと実験。
薪を暖炉で燃やしたときの、あのメラメラ。あの感覚が、わたし、家、空、辺りが、全体に一瞬で広がる。生まれる、生み出されている瞬間。無条件に、誰にでも、対等に。
心に火が灯るよ。(なんか、オルタナティヴロックのフレーズみたいやなと感じる)

Piece of Advice
いつでもただ、聴くよ

∴その感覚は、あなたのものです








お読みいただき、ありがとうございます。 とても励みになります! みなさまから頂いたエネルギーを巡らせていけるよう、精進してまいります!