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てんびん

ふわっと金木犀の香り。散歩をするのも、湯船につかるのも、ぐっすり眠るのも、きもちのいい季節となりましたね、ほんとに。(季節問わず大好き寝るのとお風呂♡)
枯れた葉をふみふみしたら、カサカサ…足から全身に感触を感じます。たのしい。写真はたまたま、ほげぇと、歩いていたら今まで嗅いだことのない香りと佇まいの方と出会いました。お色味も雰囲気も落ち着いていて今時期にぴったり。

腑に落ちないと、梃子でも動かない、動けない。そんなわたしは、もうすっかり、「追う」ことをしなくなっちゃって、できなくなってしまいました、なにに関しても。「ピン!」ときたその瞬間にしか、動いていない、動けないからです。けれど、サクサク軽やかに動けるし、「〇〇しなきゃ!」の縛りが一切なく動いちゃっている自動運転モードです。楽です。すっきりしています、とっても。距離感やバランスもとりやすいきがしています。何の知識も情報もなくても、なにかの誰かの拍子で、然るべくタイミング、最善の出会いや流れがあるのだもの!それが、たのしい!面白い!たまらない…。

あ、そういえば、もともとの身体の重さよりも、軽くなっています。そんなに量を頂かなくても、むしろたくさん頂いていた頃よりも、そこそこ動けます。疲れにくいです。適量。足るを知る。

-そもそも、人も作品も、並べて比較できるものではない。「こうありたい/こうあってほしい」、「わかりたい/わかってほしい」と願望や欲望、「こうに違いない」「そうに決まっている」と正当性で詰め寄ったり、期待や価値を押し付けたり、はめたりして操作できるものではない。国家、権力、権威、大きなチカラの圧力がはたらいても、人は、感覚や感性は、操作されるものではない。-
と昨日「自由」について記述しました。

「自由」のことを、感じていけばいくほど、何をどうやっても、「いのち」という言葉が浮かんできます。
そもそも、森羅万象、生きとし生けるもの、すべて、いのちに変わりなく。その、いのちは、「こっちが凄い」、「あっちが良い」、「そっちの方が大事」、そうやって天秤にかけたり、はかるものではないからです。みんな、対等な「いのち」。
そうとはいっても、わたしも知らず知らず、善し悪し、高い低い、重い軽いとジャッジしたり、無意識に推し量ったりしてしまっていることがあります。そんなとき、大体が「なにかやらなきゃ」と「力み」があったり、一縷の望みや期待を相手に預けてしまっているときだなと、みています。自己も他者も、待つこと、見守ることが、今のわたしには、大切なようです。

語尾が安定しませんが、少しずつ様子をみながら落とし所をみてますので、あたたかく見守って頂けると、有難いです。

お読みいただき、ありがとうございます。 とても励みになります! みなさまから頂いたエネルギーを巡らせていけるよう、精進してまいります!