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わたしの感覚

予期せぬ形でさよならとなったパッションフルーツ。まだ、続きがありまして。
草刈機で草刈されたので、土には根が残っていること。そこから伸びるんやで踏ん張るんや!っていうきもち。
そして、わたしはズタズタになった姿の枝を持ち帰り、剪定し直した。咲くのを待つ蕾がたくさんついている。なんなら洗面器の水に浸けてみると、蕾は膨れている。葉は巻いていない。根は残っていても、これから伸びないかもしれない。剪定し直したパッションフルーツも、育たないないかもしれない。だけど、もう出会っちゃってるやん。動いちゃってるやん!植物自身にはどうにも出来ない最悪な状況や状態であっても、わたしには手があるやんか。出来ることを、最大限試みることに。
そういえば学生時代畑をしていた時に、胡瓜の苗を植えたら、茎がポキッと折れてしまった。恩師が「セロハンテープでくっつけてみたらいいんじゃないか?」と笑いながら冗談混じりの半分本気で言ってくれて。どうなったと思います?(知らんがな!)
もう、「こんなんでくっつくんかな」って諦めと、やってみんと、わからんよなって言うのと、あとは「これでくっついたら凄くない!」っていう遊び心と無邪気さで。とにかく、やってみたらさ!な、な、なんとっっっ!!!!くっついてんな!!!!生きるって、すごーってなった。マジで凄ない!?

パッションフルーツについて調べていくと。

花の形が3つに分かれた雌しべが十字架に見えた事や、重なる様に5つに分かれた雄しべが磔(はりつけ)られたキリストの姿に、その周りにある放射状に広がる副花冠がキリストを照らす光に見え、雄しべや雌しべを囲むように広がる花弁が使途の姿と重なった事が、まるでキリストの磔のシーンを思わせることから、受難を意味する「Passion」を語源とした「Passiflora」の名がつけられた様です。花はパッシフローラと呼ばれ修道士のシンボルとして大切にされているようです。

引用 LoveGreen

保育士として仕事していた時に、3歳児と4歳児の子どもたちとかかわる機会を多く頂いていたのですけれど。お絵描きする子をふとみると、++++++と、大きいのから小さいのまで、ひたすら+。紙に十字を沢山描いていたのが印象的だったことを思い出しました。全体の中で漂って生きていたけれど。「わたし」という感覚をもち、生きていく。

パッションフルーツとの出会いから、わたしのなかで止まらない何かが、ドバーーーーっと湧き出るし、受け取るしが、エンドレスなのよ∞
どうやら、挿し木でも行けそうとのことっ!!!!
そらさ、「もっと、早くきづいていたら…」とか「草刈りタンマ!!ここはわたしがやります!って言えばよかったけど、何をどうしても間に合わなかった…」とか、ごちゃごちゃ考え出しそうになってんけど。
蕾や枝が残っているやん!まだ、できることがあるかもしれんやん!だったら、果てるまで今、出来ることをやってみよう!!って、ズタズタのパッションフルーツ見つけた時になってんな。
激アツ、鬼アツ案件勃発。かかわってなんぼ。わたしの感覚使ってなんぼ。はぁ、生きるってなんて、面白いんやろ…。尊い。
はぁ、お母さんclassも後、Lesson4でフィニッシュか…。あかん、込み上げてくる。お母さんclass受講してから、ありとあらゆるもの、人とのかかわりがじわり、じわり、真に面白い。はたまた、きづけばいつの間にか土俵入り案件も同時多発やし。ほんまに、意を決して受けてよかった。降り注ぐはからわずとも、はからわれていることにも、感謝しかない。

ベランダのマロウは、花を次々咲かせている。
なになにーっ!すごーいっ!この色、佇まいに癒される。

今日は満月で月食なのか。一粒万倍日。なんかすごーい。
薄っぺらい反応。しかししかしっ!わたしの内ではもんのごっついものが動いていて、止まらないのだっだっだっだっ。(無限にこだまする…)
ただただ静かに、静かに…○

パッションフルーツの花

朝は蕾だったけれど、昼には花がっ!!!!!!
一日で!ズタズタだったのに、パッションフルーツ強ぇし、しなやかだ。イノチって、すげぇ!!!!


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