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BUMP OF CHICKENのライブで「生きるのは最高だ」と観客が歌うポジティブアイロニー

以前に、サカナクションがライブで『モス』を演奏し、会場のマジョリティたちに「マイノリティ」と叫ばせていたことに衝撃を受けたことがあった。サカナクションは今一般的にもすごく人気のあるアーティストなんだけど、私はその本質は一般受けというよりはサブカル受けの代名詞だと思っていて、サカナクションが今めちゃくちゃ人気があることをふと考えたときに、ぎょっとすることがあるんですよね。勝手に。そんなサカナクションが、自分たちの性質や強みを加味した上で(想像)、大勢の観客に「マイノリティ」と言わせることの美学みたいなものを感じたのです。

そして今回、ナゴヤドーム・東京ドームと二度参戦したBUMP OF CHICKENのツアーライブでも、ちょっと似たようなことを感じたので簡単に述べたい雑記です。

何の話かというと、『ray』の話。BUMPでは比較的近年の曲(といっても2013年だけど)で、ライブで演奏する曲としては近年大定番となっているらしい。若い世代にとってBUMPといえば『天体観測』ではなく『ray』だという一部の声もあるとか(マジ?)

そんな『ray』、ライブではある一部でモニターに突然でかでかと歌詞が表示され、会場全体で歌うことを促される。その歌詞こそが、「生きるのは最高だ」である。
これ、冷静に考えてみると衝撃を受ける。だってBUMPだ。その一言に尽きる。

そもそも「生きるのは最高だ」について。

この歌詞、結構なパワーがある。発売時も結構色んな人が言及していたと思うんだけど、こちらについては「生きるのは最高だ」だけ切り取ればBUMPっぽくない感じがあるが、ちゃんと全貌を捉えてみれば、歌詞は


⚪︎×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ

という話であるし、さらには、

大丈夫 あの痛みは忘れたって消えやしない

楽しい方がずっといいよ ごまかして笑っていくよ

といった繊細な部分に触れた言葉がきちんとある。こうして全体でみれば、「生きるのは最高だ」は別に驚くことではない一節であることがわかる。それでもやっぱり、この一節だけを切り取ると、「BUMPらしくなさ」「パワー」がある、という話だ。実際にライブではここを切り取られて私たちは歌うことになるので、切り取られたものについて解釈したい。

この切り取られ方について説明するために、先ほど簡単に流した、自分の考える「BUMPらしくなさ」についても述べる。

BUMPって別に暗い歌ばかりを歌うわけじゃない。むしろ、前向きで明るいことが多い。
それでも、「前向きの押し売り」ではないアーティストである。例をあげると、ツアーに参戦して印象的だった、『Butterfly』を演奏する前にベースのチャマが言った「人生が辛くてしんどいって人も、楽しくて仕方ないって人も、そのままの気持ちで聴いてください」というセリフがあった。私の感じるBUMPらしさが、正にそれだ。

「辛いときはいっぱいある」ということを受け止め、「そのままでいい」「無理に頑張らなくていいよ」と同調した上で、「辛くても悲しくても俺たちの曲は君の傍にいるからね」と言ってくれるのがBUMPなのです。そんなBUMPにやられている人たちは、きっと「生きるのは最高だ」と簡単に言うことができる人が多くはないと思うのである。

そんなBUMPが、そんな私たちに、全体の中の一節ではあるとはいえ、ライブで最高の気分になったタイミングで「生きるのは最高だ」と声に出して歌わせることが、「あー、やってくれるわ……!」と思ったんですよね。勝手にだけど……。

ただそれだけなんだけど、冒頭でさらっと書いたサカナクションといい、BUMPといい、こういう演出って、ちょっとアイロニー的なんだけど、誰かを嘲笑うものではなくてむしろポジティブな芸術的なものだ。タイトルで「ポジティブアイロニー」と勝手に称したけれど、たまんなく惹かれる、というお話です。


もっと書きます。