【小説】好きになれなかった人を嫌いにもなれなかった
屋台で買った軟骨のからあげを、公園のベンチに座って食べた。十分前に別れ話をしたばかりの私たちは、いくら感情が上下しようがお腹が減るし喉も渇く人間としての本能に従いながら、ブランコを漕いだり、砂場を走り回ったりする子どもを横目で追っていた。
音楽性の違いというのはバンドが解散する理由の常套句だけれど、そもそも人間同士が別れるにあたっては、なんとか性の違いとかいう言葉は何にでも、あまりにもぴったりあてはまる。さらに言うなら、元々一人ひとりは個々で別れているのに、「別れる」という言葉を使うのはなんだか可笑しいと思う。それに私とユウスケは、何をどう考えても最初から別れていた。
それでも、私たちは付き合ったこともまた確かだったと、スマートフォン内の電子データたちが語りかけてくる。初めて二人で行ったのは江ノ島。水族館で想像以上に時間を使いすぎてしまって、江ノ島本島を見る頃にはすっかり日が沈んでいた。街灯も少なく足下が見えない闇の中を、手を繋いで歩き回って、やっと駅にたどり着く。長い帰路をたどる前、駅のホームでお互いの顔を見合わせて、ユウスケが私に付き合おう、と言った。私は、うん、か、はい、かどちらかを発したのだったと思う。
ユウスケと過ごす日々はあまりにも穏やかだったので、私はただそれに浸って受け入れるだけだった。波の立たない日々の中で、私はユウスケと付き合う前の元彼のことを、忘れられていないままだった。元彼のことは、モトカレ、と脳内で呼んだ。名前で想像するのは、なんだか少し憚られた。それはユウスケに私が持っていた唯一の罪悪感の欠片だったのかもしれない。ユウスケと出かけたり、話したりしているときに、ふと瞬きをするとモトカレのことが浮かんだ。また、ユウスケと寝た夜ですら夢に出てきた。忘れられていないとはいえ、諦めてはいたつもりだったが、そうやって何度も私の気持ちに出現するモトカレを追い出す術がわからなかった。
ユウスケと付き合ってから三ヶ月くらい経った頃、部屋の隅にためこんでいた十円玉だけが入った貯金箱の中身を全て両替した。これは、誰かに公衆電話から連絡をするときがあるかもしれないと思ってためこんでいたものだった。しかし思い返せばあれは、「電話をかけるかもしれない」じゃなくって「電話をかけたい」というずるい理由があってためていたものだった。誰にかけるって、もちろん、モトカレに。
携帯電話からかける勇気はなかったが、公衆電話なら……と、あまったるい妄想をしていた。十円玉は私の悪あがきであり、保険。ユウスケには当然本当の理由は言わなかった。ただ、十円玉貯金をしていることを話したら、五百円玉じゃないんだ、と言ったので、そうだね、たしかに、と止めることにした。ユウスケは私を上書きしなかったが、諦めの悪い私を正していく理由にはなった。
それでも、うまくいかなかった。
好きになれなかったユウスケから、嫌いになれないまま離れてしまった。別れる理由として私が切り出したのは、なんとか性の違いとかではなく、「私は一人でも生きていけるから」というものだった。私の鼻がピノキオのように伸びないのをよいことに、私はモトカレを追い出さずにユウスケを追い出すことを選択した。
口内でがり、がり、と小気味よい音が鳴って、子どもの声と重なりハーモニーを奏でた。そこに「あのさ、」とユウスケの声が加わる。私はユウスケの、高くも低くもない声がすごく好きだ。山彦にでもなったら拍手が起きそうな、張った声。
「今までありがとう」
ユウスケなら、きっとそう言うと思った。そう思ってしまった自分が、心底嫌だった。その後私は、こちらこそありがとう、ごめんね、と言って、コールセンターに勤めていた頃に読み込んだ接客マニュアルのことを思い出していた。その後ユウスケの声は掠れていき、はしゃぐ子どもの声にかき消されていったのであまりよく聞こえない。崩れていく砂の城を見やって、私たちはこの公園で唯一の未完成品のような心地がした。
帰るとき、定期券を忘れたことに気づいた。切符を買うのは久しぶりで、操作に戸惑いながらも降車駅を探す。釣り銭で出てきた十円玉を見て、喉の奥にツンとしたものが漂った。私は一人でも生きていける。胸に手を置いて呪うように、祈るように唱えた。三回唱えれば、本当に一人でも生きていけるかもしれなかった。
もっと書きます。