【小説】肌寒い場所
暑いときは暑いしか言えなくなる呪いがある。
暑い、と勝手に漏れる声はあまりにも情けない囀りなので、僕は僕に怒り、次にこの時代に冷房が効いていない部屋に怒る。これだから田舎の町医者は、と偏見を込めてぶつくさ言ってみるも、田舎の町医者しか知らないのが僕であり、その偏見の矛先だってきっと、僕が田舎者であることに着地してしまうのだろう。暑い。
残念ですが、と言われて、ええ、残念ですね、とはならない。そもそも、残念ですが、は中途半端だ。その続きには何がくるのが正しい? 家の冷凍庫で溶けかけているアイスキャンディーを思い浮かべる。残念ですが、ドロドロになってしまっているので、もう元の形には戻らないのです。凍らせても、組み替えても、何をしても、元のあの綺麗でつるんとした美しい形の、カラフルなアイスキャンディーには、戻らないのです。
町医者というかマチイシャの老人を、マチーシャ、と僕は発音する。ガネーシャみたいで、神として崇めやすいし。でも実際には神じゃない、ともう一人の僕がすぐに突っ込んでくるので、だまらっしゃい、と僕は僕の頭を叩く。マチーシャが神であるくらい信じたっていいじゃないか。そんな、僕らが暑さと否定のし合いで頭をぐわぐわさせている間も、マチーシャは残念ですが、と繰り返す。
残念ですが、暑い。
そこでドアが開く。ありがたいことに、この部屋だけは冷房がしっかり効いている。
ドロドロになってしまったら困るからだと思う。僕はマチーシャの顔をちらりと見る。残念ですが、とすらもう言わなくなってしまったマチーシャの白い髪と髭が、冷房の風で不健康に揺れはじめた。
布もシーツも白いので、横たわる君を見て、思わず白い明太子みたいだ、と思った。白い明太子ってなんだよ、ともう一人の僕がクスリと笑う。一方僕は、暑い、と言うしかなくなる呪いが解けて、さらに溶けきって、ドロドロになった頭を抱えて君をもう一度見る。ゆっくり近づく。
嫌だな、と思う。もう一度呪いにかかればいいのに、とマチーシャに願ってみた。それでもしっかり冷えたこの部屋の中では、どうしても難しい。
こんなにも暑いというのに、君の隣はどうやったって肌寒い。
即興小説トレーニング お題:肌寒い場所 制限時間:30分
もっと書きます。