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4月21日は祈りの日。悲しい歴史は繰り返さない。スリランカの新年に寄せて

日本で祝い菓子を食べる

一週間前の4月14日はスリランカの新年。お正月でした。
キリバットと呼ばれるミルクライスや、コキスと呼ばれる米粉のお菓子などを食べてお祝いをするのが当地の習わし。わたしも日本にいながらも、せめてこの2品は作ってお祝いをしたいなと思いながら、長期出張の日程と重なり(涙)

せめてもと、仕事を終え数日遅れでバナナの葉に包まれたスリランカカレーを東京の友人宅でデリバリーしました。するとサービスで「お正月のお菓子をどうぞ」と、こんなお菓子をつけてくれて。仕事の疲れも吹き飛びました♫

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そして「気分だけでも味わって」とスリランカの友人もご馳走写真を送ってくれました。ゴージャスですねぇ。

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キリバッドやコキス以外にも、キャウン、トフィー、アルワ、アッガラなどなど。お祝いの席には欠かせない甘いスイーツが並びます。

悲しい歴史。そして、爆弾テロ事件

スリランカの新年のことを「Sinhala and Tamil New Year」と呼びます。
スリランカは多民族国家で国民の大多数を占めるのがシンハラ人、次に多いのがタミル人。名前の通り、2つの民族の新年のお祝いです。

実はスリランカでは、たった10年ほど前の2009年までシンハラ人と少数派のタミル人が争った37年にも及ぶ内戦がありました。北部を中心に戦火が繰り広げられ、戦死者は7万人以上と言われています。

幾度かの停戦を経て、2009年に終結してからのスリランカは目覚ましい経済成長を遂げました。観光産業に力を入れ「最も旅行したい国NO.1」にも選ばれるほど、戦争は遠い過去の話になりつつありました。

しかし、そんなどこか平和ボケしたかのような日々に、信じられない出来事が起こります。

2年前の今日2019年4月21日、コロンボの一流ホテルやネゴンボの教会など、国内8カ所で連続爆破テロ事件が起こり250名以上が死亡、500名以上が負傷する大惨事となったのです。スリランカ全土で緊急事態宣言が発令され、一時国は鎮まりかえりました。

4月21日は祈りの日

ちょうどテロ事件の数日後にスリランカへ行く計画をしていたわたしは、この突然の事件で行く行かないを迫られることに。散々悩んだ挙句、この時は行く選択をとりました。向こう見ずだとか危機意識が低いとかいろいろな意見や助言があり、それらは自分でも真っ当な意見だと思う中、でもどうしても「行く」という選択をしました。ここではその胸中は詳しく語らずおきますが、日本でただニュースを聞いて心配するのは耐えられなかったのです。

使ったのは香港経由のキャセイ便。香港ーコロンボ便は搭乗客も少なく、やはり少々不安な気持ちになり、緊張感が高まりました。

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そして到着後、いつもなら出迎えの人びとでごった返す空港ロビーも鎮まりかえり。空港が立ち入り禁止地区になっていたおかげで、迎えに来てくれた友人家族と出会えたのも空港外れの駐車場。会った瞬間、溢れそうになる涙を堪えるのに必死だったことを思い出します。

滞在期間中は危険な目に遭うことなど幸運にも何もなかったけれど、街のあちこちで銃を手にした軍隊を目にしたり、検問があったり。スーパーマーケットでも荷物チェックが徹底されたり。トゥクトゥクに乗ると、道路側のあちこちで喪に服す意味合いの白旗がはためくのが目に入り。それまでのスリランカとは、まったく景色が違いました。

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こんな経験をしたこともあり、わたしの中で4月といえば「スリランカの新年だ」というめでたい気分とともに、2年前のテロ事件がまざまざと思い出され、おのずと平和や平穏を祈る月ともなっています。

いま世界は新型コロナウイルスという目に見えない脅威を相手に戦い、海外渡航もできない日々になってしまいました。

いつまたスリランカに自由に行ける日が訪れるか、いまはわからない日々。でも、スリランカで二度と内戦時代の暗い歴史を繰り返すことがないよう、テロなどないよう。スリランカが長く平和でありますように。

4月21日。あの日から毎年、わたしにとっては祈りの日です。


追記)このテロ事件は過激派組織ISの影響を受けたとみられるスリランカ国内の過激派組織による犯行で、民族間や宗教間の対立によるものではないとされています。捜査当局は今も捜査を続けていますが、全容解明にはまだ時間がかかる模様です(4月22日追記)



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